手術から約一週間が経ったことだし、ざっくりと振り返っていこうと思う。
今回のお品書きは以下のとおり。
退院前後の話
前回の記事の後、久しぶりにシャワーを浴びて全身スッキリした。もし自分がディ○ニープリンセスだったら、間違いなく『生まれて初めて』を歌い狂いながらアレ○デールを駆け回っていただろう。
股間の痛みや腹痛は段々と引いていき、重めの生理痛くらいになっていった。むしろ、病室に飽きたことによる退屈と、ベッドが合わないことによる体の痛みのほうが苦痛だった。
そんな矢先、主治医から「意外と元気そうだから、希望するなら1日退院を早めても良い」との言葉があり、大喜びでお願いした。
退院前に再度診察を受けたが、そのときの処置と内診が激痛で、股が避けて死ぬかと思った。内診台のある婦人科外来での診察だったので、人の少ない時間に診てもらったとはいえ、待合室には普通に受診にきている女性がいた。『内診室から野太い声の悲鳴を出すわけにはいかない』というわずかな理性で悲鳴を噛み殺し、なんとか耐えた。長男だから耐えられたが、次男だったらこうはいかなかっただろう。
そして無事、解放されたのであった。数日ぶりのシャバは、びっくりするほどに暑かった。迎えにきてくれた彼女がくれたソル○ィライチが、全身に沁みた。
入院の振り返り
病院について
関東の総合病院の婦人科の受診、入院だったが、タイには負けるかもしれないもののかなりSRSに慣れていたようで、オペレーションがとにかく完璧だった。
術前の診察や、前述の退院時診察は婦人科外来で行われたので、当然ながら婦人科疾患で来ているシス女性がいた。その中に、子宮を持っている(いた)とはいえどう見ても男の外見の自分が入っていくのは、かなりハードルが高かった。
手術のずいぶん前、GIDの診断の過程でも婦人科診察が必要なのだが、そのときもかなり居心地が悪かった。そこからさらに数年、男性ホルモンを打ち続けた姿で行くのは、正直尻込みしていた。自治体から子宮がん検診のお知らせも届いていたが、検診会場で奇異の目に晒されるのは容易に想像できるので行く気になれず、ハガキは毎回捨てていた。少し前に不正出血があり、婦人科に行かざるを得ないときがあったが、そのときもGID対応の婦人科を検索しまくり、自宅から距離のある病院だったが仕方なくしばらく通った。
それくらい、GIDが身体の性のところに入ること、特にFtMが婦人科に行くことは、心理的ハードルが高いのだ。正規の理由がある婦人科の待合室でさえ肩身が狭いのだから、たとえ子宮があっても、女湯になんて行けるわけがあるまい。
今回の病院は、その複雑な『GIDゴコロ』を、よく理解してくれていた。
婦人科外来では、婦人科部門の中の待合ではなく、その前の共用廊下にある長椅子で待つよう案内された。共用の場所なので、当然ながら老若男女がいておかしくない場所にある長椅子である。実際、隣の椅子には別の検査を待っているであろう老夫婦がいたりした。そこで診察の順番が来るまで待機し、順番になると看護師さんが呼びにきてくれ、中の待合室に座ることなく直接診察室に行けるのである。その流れが良い意味でとても慣れていて、淀みなかった。このおかげで、婦人科受診のハードルが1/10くらいに下がった。
また、採血や心電図などの術前検査のときも、呼び出しの際に他の人は「田中花子(仮)さーん」などどフルネームで呼ばれている中、自分は「鈴木(仮)さーん」と苗字だけで呼ばれた。その上で、いざ検査をするというときに、検査オーダーの用紙や採血管のラベルを見せられ「お名前は合ってますか?」という形で確認された。これも、改名前で、変化済みの外見の性別に似合わない名前のGIDへの配慮だろう(『山下健太郎(仮)』さんが呼ばれて綺麗なロングヘアの可愛いワンピースの人が入って行ったら、悪目立ちするのは避けられまい)。自分は男性名に改名済みなのであまり関係なかったが、これもありがたい配慮だった。
一番強調したいのは、医師、看護師、検査技師、事務…どの職員さんも、これらの対応に慣れていた様子であったことである。つまり、ぎこちなさがなく、周囲はおろか自分すらも配慮に気づかないくらいに、自然だったのである。
複雑なGIDゴコロとして、『悪目立ちしたくない』『奇異の目で見られたくない』『でも特別扱いや腫れ物に触るような扱いはされたくない』というのがある。カムアウトした結果、いじめられることはなくても、腫れ物を触るような対応をされるようになって逆に傷ついた…ということは、おそらくほぼ全てのLGBTQが経験したことがあるのではないだほうか。
『レズの人』『ゲイの人』『トランスジェンダーの人』としてラベリングされ、一個人の『自分』として対応してもらえない感覚。『配慮』と『ラベリング』は違う。説明が難しいのだが、気遣って対応を考えてくれるのと、腫れ物を触るように特別対応されるのは、される側としては全く違う。後者はすぐにわかる。『異物』『特殊な存在』として扱われている感覚に、スーッと心が冷える感覚がして、心がじわりと死ぬ感じがするのだ。
マジョリティに接するときと変わらずに、普通に接してくれていいのだ。たまにバリアが現れて本人がまごついている、あるいはまごつきそうなときに、「君はこのやり方でしたら?」と別ルートを教えてくれるとか、「どうやったらできる?」と希望を聞いてくれるとかで十分すぎる。きっとこれはいろんなハンディや個性を持つ人全てに通じることだと思う。
もちろんそれはマジョリティには伝わりにくい感覚だろうから、トライ&エラーで得られるものなのだろう。毎日のようにSRSをやっているタイの病院は、きっとそのあたりの自然な対応が、息をするようにできるのだろう。しかし、日本の病院も捨てたもんじゃない、と言いたい。日本の病院でも、良い病院は、『SRSしにきたトランスジェンダー』とラベリングして思考を遮断するのではなく、『術前/術後の患者である鈴木(仮)』としてマジョリティの患者と変わらない対応をすることができるのだ。
長々と語ったが、要するに、自分すらもLGBTQであることを忘れられるほど自然に過ごせた入院生活に、心から感謝している。
どの病院だったかは、身バレ防止のために明記できないが、気になる人は、連絡をいただければ何らかの方法で病院名をお伝えしようと思う。
持参品の反省
持参して良かったもの
・無印のルームシューズ
先日の記事で全力でダイマした、残反を使ったルームシューズ。すごく履き心地がよく、しかも激安だったのだが、どうやら残反ゆえ品切れしつつあるらしい。見かけたら、入院する予定がなくても買っておいて欲しいくらいおすすめだ。
あれでなくとも、ルームシューズはあるべきだろう。ベッドとトイレの往復や、痛み(+ADHD)でじっとしているのがつらいときに個室内をうろうろするのにも重宝した。
・500mlのペットボトルの水 10本
入院時こそかさばるし重かったが、痛みで売店で買いに行けないときに本当に助かった。そして『500ml』というのがミソ。2ℓでは、健康時ならいざ知らず、術後のしんどいときにはラッパ飲みなんてできず、コップにいちいち注がないと飲めない。その『注ぐ』という動作すら、しんどいときは億劫になるのである。しかし、500mlボトルなら、開けてそのまま飲めた。コップやストローすら使わずラッパ飲みできたので、ベッドの上でスマホ、水のペットボトルと一緒に寝転がって苦しんでいたとき、水を一口二口飲んで気を紛らわせることができたのも良かった。
・箱ティッシュ
噂通り、やはり病室にはティッシュはなかったので重宝した。ポケットティッシュより箱ティッシュのほうが取りやすくて良かった。
・体を洗うボールタイプのやつ
要するにこれだ。
https://www.ikea.com/jp/ja/p/abyan-body-puff-multicolour-20285139/
体を洗うタオルも病室にはなかったため、これを1個だけ持参した。かさばらないし、ちゃんと洗えるし、とても役に立った。
・推しのフィギュアとぬいぐるみ
とにかく癒された。
エ○モぬいは看護師さんたちに好評だった。Q-posketは「これは何のキャラですか?」と聞かれがちだったので、毎回「東京リベ○ジャーズのマ○キーの未来の姿です」と解説していた。マイ○ーは意外と一般知名度があるらしく、名前を出すと全員の看護師さんがわかってくれた。しかし、説明しないとわかってもらえない未来の姿のフィギュアを持参したのは、後にも先にも自分だけだろう。
持参したけど使わなかったもの
・ストロー、ストローを刺せるペットボトルのフタ、ストローを刺せるフタ付きのコップ
前述のように、500mlのペットボトルをラッパ飲みしたので、ストローは一本も使わなかった。術後が翌日まで絶飲食で、解禁される頃には体を起こして水を飲める程度には動けたからというのも大きい。
もし上半身の手術だったり、開腹するような手術だったら、使っていたかもしれない。
コップは歯磨き用にだけ使った。当然ストローは刺さないので、フタは要らなかった。
・PC用ゲームパッド(プレステみたいなコントローラー)
某オープンワールドRPGをやるつもりで持ち込んだが、そんな場合じゃあなかった。
痛みがおさまってからも、じっとしているのがつらく、腰を据えてゲームなんてできなかった。
完全に要らなかった。
・シームレスパンツ
これは完全に盲点だった。
スルスルした生地のシームレスパンツのほうが術後に楽かと思って持参したのだが、術後はナプキンを装着する必要があるのを考えていなかった。否、ナプキンが必要なのはわかっていたが、ナプキンとシームレスパンツの相性が最悪だとは知らなかった。
スルスルすぎて、めちゃくちゃ剥がれるのである。
長らくナプキンを使っていなかった&使っていた頃はシームレスパンツなんてなかったせいで、知らなかった。わざわざサニタリーパンツを買わずとも(ホルモンで生理の止まったFtMの多くはサニタリーパンツをとっくに捨てていると思う)、普通のボクサーパンツで十分なのだが、普通の綿のパンツを持参すれば良かった。これはハチャメチャに後悔した。
・彼女宛ての委任状(遺言書)
自分の意識不明時の諸判断は彼女に一任することと、銀行やクレカの暗証番号を書き記し、押印、封をした封筒。
実際の効力があったかはわからない。幸いにして、使うことはなかったから。
不足したもの
・ナプキン
術後に出血があるとは聞いていたので、術後4日目に退院の計算で、多い昼用10枚、夜用5枚を用意したが、正直足りなかった。
出血量は、手術翌日はかなりあったものの、多めの日の生理くらいで、溢れるとかは一切なかった。2日目以降は、量も少しずつ減っていった。
問題は量ではなく、臭いだ。
遠い記憶だが、かつての生理のときのナプキン交換では感じなかった、独特の生臭い悪臭。出ていたのが経血ではなく、内臓の傷口から出た血液(経血よりも真っ赤な鮮血が出ていた)と体液が混じったものだったからだろうか。
量よりも臭いに耐えられず、想定以上にナプキンを交換することになり、術後3日目の昼には底をついてしまった。予定より1日早く退院させてもらえたのは、そういう意味でも有り難かった。退院してすぐにナプキンを買い足して装着して、事なきを得た。
1パックくらい持参しても良かった気がする。
ざっとこんな感じだろうか。
そして手術が終わり、ついにここからが戸籍変更編である。
それはまた別のエントリに書いていくこととしよう。