とりかへばや日記

戸籍の性別を取り替えるまでの記録

最終回

タイトルどおり、今回がこのブログの最終回となる。

 

以前の記事に書いたように、無事に戸籍の性別を男にすることに成功した。

これで、自分の「彼女」を「妻」にすることに、何の障壁もなくなったのである。令和6年の日本においても。

 

先日、彼女のご家族にご挨拶をした。

十年来の付き合いである自分と彼女。彼女はシスジェンダー女性で、ややレズビアン寄りのバイセクシャルだ。だから、最初は、自分と彼女は、レズビアンカップルとして付き合い始めたのである。そしてそれを、彼女の親御さんもご存知だった。

(肉体的)同性カップルで、周囲とはいろいろといざこざもあった。しかし、十年近く彼女と一途に付き合い続けたことと、そしてお金と時間と手間と肉体的苦痛という負担も受け入れて戸籍の性別を変更し、それでも彼女と一緒になりたいという誠意が親御さんに伝わったらしく、ついに結婚を許していただけた。

直接聞いたわけではないが、彼女のご家族内で「(筆者が)よく頑張った」「立派だ」というお言葉までいただいていたそうだ。

どうでもいいが、これは自分の毒親からは1ミリも出なかった言葉だった。この事実を知って、こっそり泣いた。

 

そして、数日前、「彼女」と区役所に行った。5分後、自分は「妻」と出てきた。どこかで聞いた言い回しである。決して彼女を区役所に置いてきたわけではない。

記入済みのA3の紙一枚とそれぞれの免許証を持参しただけで、あっという間に手続きは済んだ。戸籍謄本もいらないし、一緒に住んでるかとか、ちゃんと付き合ってるかとかの確認なんて、もちろんいらない。少し前からハンコすら捺さなくて良くなったそうだ。

びっくりするほど簡単だった。成人している戸籍上の異性カップルは、こんなに簡単に夫婦になれるというのか。これを経験すると、戸籍上の同性カップルのハードルがとんでもなく高く感じた。

逆になんでこれが同性だとダメなんだ? と、余計に意味がわからなかった。

余談だが、この翌日以降の、妻の改姓作業のほうが大変だった。免許証、マイナカード、保険証、年金、銀行、クレカ、パスポート…。改姓してもらう「夫」の責任として妻に同行したが、役所が混んでいたり銀行が閉まる15時に間に合わなかったりで、一日では終わらなかった。そして、夫婦ともどもぐったりと疲れてしまった。

 

ということで、人知れず始めた匿名のこの備忘録は、今回でおしまい。

いやはや、ここまで約一年かかってしまった。とても長い道のりだった。

すごく疲れた。

お金がクソかかった。借金(医療ローン)もした。入院や検査通院で仕事を休まなければならない日も多く、給料が減ることは避けられなかったので、手術前と体力が戻ってからは馬車馬のように働いた。7月は働きすぎてほとんど家にいなかったレベルだ。

そして、手術はめちゃくちゃに痛かった。退院後しばらくは腹痛と陰部痛に苦しめられた。出血もするから、数年ぶりに自分用のナプキンを買い、持ち歩いた。

でも、まぁ、なんとかなった。

スーツにネクタイを締め、念入りに髭を剃り、髪を整えて、膝を揃えて、彼女…今は妻だが、そのご両親に「彼女さんと結婚させてください」とお願いする日が自分にも来るなんて、夢にも思ってなかった。そしてそれにお義母さんが笑顔で頷いてくださり、お義父さんが「よろしくお願いします」と言ってくださった光景。かつてないほど緊張でガチガチだったが、あの日のことは一生忘れない。

あぁ、なんと有難いことか。

 

今後の日本で、同じように戸籍の性別を変えたい人たちの負担が、少しでも減りますように。

手術ができない、したくない人が手術を強要されず、手術をしたい人は高額な金銭的負担を強要されないようになりますように。前者は叶いつつあるけど、これへのシスジェンダーの偏見、差別が少しでもなくなりますように。

そして、シスジェンダーホモセクシャルバイセクシャルカップルが、ヘテロセクシャルカップルのようにA3の紙一枚を出すだけで5分で夫婦になれる日が、一刻も早く来ますように。

そう願って、このブログは終わりにしたい。めでたしめでたし。

戸籍変更が終わりました

ブログをアップしたつもりでアップできていなかった。申し訳ない。

本日の内容は、タイトルのとおりである。

 

戸籍が、女から男に変わりました。

否、男に""修正""されました。

 

ここまでの流れを、改めて振り返る。

手術の病院を探したのが昨年11月。

手術の病院の初診を受けたのが昨年12月末。

そこから各種検査や書類取得を経て、手術を受けたのが今年の6月5日。

精神科主治医に診断書をもらい、家庭裁判所に提出しに行ったのが7月11日。

裁判所から追加の質問書が届いたのが7月29日。

そして、8月6日。裁判所から、「性別の変更を認める」という判決書が届いた。

手続きを初めて9ヶ月。これにて、一件落着である。

追加の質問書の後、裁判所に出廷して裁判官と直接面談する必要があると聞いていたのだが、その日程調整の前にもう判決書が届いてしまって、なかなかびっくり仰天した。

面談がなく済んだのが、今のご時世(手術が不問の判決も出た)のためか、提出した診断書や申立書の内容が良かったのか、関東ジェンダー医療協議会のお墨付きだったからか、自分の事件の担当裁判官の裁量か、あるいは直接裁判所に提出したので裁判官ではなく事務の方ではあるが風貌を見せていたからなのか……その理由はわからない。あくまで、自分は面談なしのスピード解決だった、という一例だけなので、全例そうであるとは思わないでほしい。

 

とにかく、自分は、正規の手段で、男と名乗れるようになった。

ものすごく晴れやかな気持ちだ。

自分が思う&見た目で判断される性別と、公的書類の性別が一致している。それがどれだけ不便がなく、嬉しいことか。

シスジェンダーの気持ちが、ほんの少しだけわかった気がする。

 

そして今は、職場の責任者(この人と管理者だけが自分の採用時の戸籍上の性別を知っていた)に報告し、健康保険証や年金、その他仕事上で必要になるものの性別書き換えをお願いしているところだ。

それが済んだら。

 

 

彼女と、籍を入れる予定です。

裁判所からの追加質問書

家庭裁判所に性別変更の書類を提出して約2週間後。手続きの際に言われた、「追加の質問が書かれた書類」というものが届いた。てっきり書留とかで来るのかと思っていたが、普通郵便であっさりとポストに入っていた。貼ってあった80円切手…否、84円切手は、手続きの際に自分が納入したものだろうか。

家庭裁判所の名前の書かれた封筒の中には、宛名用紙と別に、印刷されたA4の紙が1枚と、84円切手の貼られた返信用封筒が1通入っていた。これまた自分が二週間前に郵便局で買った切手だろうか。

入っていた紙には、今回の裁判の担当書記官のお名前と、性別変更手続きを行うことが書いてあり、二つだけ質問があった。

「1、性別を女→男に変更する裁判を行うが、これは今現在も変わらず希望しているか?」

「2、申立書に書いたこと以外で言っておきたいことはあるか?」

これだけである。届き方以上にあっさりした内容でびっくりした。

 

ちなみに、裁判所からの質問を郵送で受け取ったのは、実は2回目である。1回目は名前を変えたときのもので、そのときも「名前は一度変更すると再度変更は基本的に出来ないがよろしいか?」「新しい名前にはどんな経緯、意味で決めたか?」「この名前の使用実績はあるか?」の3つだったように思う(かなり前なので曖昧)。2個目の質問が個人的には興味深かった。「好きな芸能人と同じ名前だから」とかの軽い理由を弾くためだろうか。

 

さて。話を戻して、今回の質問状への返事。

1→「今も変わらず希望します」

まぁ、二週間しか経っていないし。こちとら20年もののGIDだ。二週間で揺らぐわけがあるまい。

これも、本当に一時の気の迷いみたいなのを防ぐためだろうか?とはいえ、受理してもらえる書類を一式揃える時点で、大変すぎて「気の迷い」の人は断念しそうだが…。

2→「特にないです」

申立書に言いたいことはだいたい書いたつもりだし、特に言い残したことはないので、そう答えた。

これだけ書いて、署名して判を捺して封をしてポストに投函。終わり。

あっという間に終わった。

 

これから先の流れとしては、裁判所と日程打ち合わせをし、実際に出廷して、裁判官や書記官との面接を受けることになる。それでOKが出れば、「戸籍の変更を許可する」の判決文が届く。そして、それを持ってありとあらゆるところの個人情報を変更して回るのだ。

面談は8月中になるだろうか。だとすると、9月には判決が出るだろうか。

気づけば手術からもうすぐ2ヶ月。ホルモンを打ち始めて6年。性別に悩み初めて20年くらい。

長かった。けれど、もうそろそろ一区切り。がんばれ自分。

家庭裁判所に行きました

昨日、居住区の家庭裁判所に行ってきた。

目的はもちろん、戸籍の性別の変更である。悪いことをしたわけではない。

 

GIDが戸籍の性別を変更するための手順は、ざっくりこんな感じである。

1.GIDの診断

精神科を受診して、他の病気ではなくGIDで性別違和があるのだと診断してもらう。具体的には、通院での面接、心理検査、知能検査などである。よほどヤバい医者でない限り、性別違和が妄想や性的倒錯(異性装で興奮したいだけで自認としてはシスジェンダーである、など)が原因であった場合は、ここで弾かれる。

ついでに、血液検査での遺伝子チェック、婦人科や泌尿器科生殖器のチェックも受ける。GID(身体は正常に男/女だが、精神的には女/男である)と、半陰陽(遺伝子的、身体的な性別に生まれつきトラブルがある)は異なるので、後者もここで治療のルートが分岐する。

ちなみに、検査は全額自費治療である。遺伝子検査とかめちゃ高い。

2.ホルモン注射や胸オペなどを開始

GIDの診断が出たら、本人の希望に合わせてホルモン注射を始めたり、胸を取ったり作ったりする。ちなみにこれは法律上は必須ではなく、オプション扱いである。なので、全額自費治療である。ここがこの後重要になる。

3.性別適合手術(SRS)を受ける

タイもしくは日本国内でSRSをやってくれる病院を探し、自分でアポを取り、精神科主治医に紹介状をもらい、持参して手術を受けに行く。病院との連絡を手伝ってくれるコーディネーター団体とかもいる。タイに行くなら利用しても良いかもしれない。

SRS自体は保険適応手術になったが、日本では同じ病気に対して保険治療と自費治療とどっちもやること(混合医療)ができない。自費治療を一つでもやると、全部自費になる。そして、ホルモン注射は日本では自費治療だ。つまり、ホルモン注射をやったことがある人のSRSは全部自費治療になる。そして、ホルモン注射を受けずにいきなりSRSをやるGIDは非常に稀である。ぶっちゃけ、自分の知人には一人もいない。そのため、日本では実質SRSは自費治療のままである。自費なので病院によって費用はまちまちだが、手術だけで100万以上かかる。

4で必要になるので、間違いなく手術をしましたよという診断書をもらっておくことを勧めておく。

※先の裁判で、この段階は必須ではなくなった。しかし、未手術で通るかどうかは、判例ができた現在でもなお、申立人の状態によると思う。正直、全く手を加えておらず、自身でも外見や振る舞いなどの工夫、すなわち『赤の他人が男と思うか、女と思うか』での埋没努力を全くしていない状態で裁判が通るとは、自分には思えない。

4.性別変更用の診断書を書いてもらう

精神科医2名、生殖器を診察した婦人科か泌尿器の医師(と、胸オペやSRSをした医師)の名前、診察日、手術日、治療内容、そして「この人は間違いなくGIDですよ」ということが書き記された、専用の形式の診断書が必要になるので、書いてもらう。だいたいの場合、ホルモン注射や定期診察をしてくれている主治医に依頼すれば書いてくれる。

精神科医1名にしか診察を受けていなかった場合は、ここまでにもう1名の診察を受ける必要がある。

ちなみに、この診断書ももちろん自費である。病院によるが、数万かかる覚悟が必要。

5.申立書を記入する

裁判所のサイトにある例を参考にしながら、申立書を書く。普通はプリントアウトして手書きなのかもしれないが、自分は綺麗に書ける気がしなかったので、Photoshopを使って記入したデータを印刷した。それでも全く問題なく受け取ってもらえたので、必ずしも手書きでなくてもよさそうだ。

収入印紙800円と、各裁判所ごとに決められている金額の郵便切手と、生まれてから今までの全部の戸籍謄本を用意しておく。

6.家庭裁判所に提出する

住んでいる地域の家庭裁判所に、4の診断書、5の申立書に収入印紙を貼ったもの、切手を持っていく。郵送でも受け付けてくれる。

書類審査、質問書への回答、そして裁判官と数回直接面談をして、性別変更をしてもいいかの判決が出る。

7.ありとあらゆるものを変更する

判決書を持って、旧性別の書いてあるありとあらゆる名義を変更して回る。保険証、免許証、口座、クレカetc… くそめんどくさい。

 

ちなみに、名前の変更も同じく家庭裁判所の担当であり、これに近い。名前変更には手術や診断書は要らないので、これで言うと5から先をすることになる。変更を希望する名前を通名として使っている証拠(手紙、会員証など)や、GIDである診断書(専用形式でなく普通ので良い)があれば、割とすんなり通る。

 

さて、ここからは、実際に家庭裁判所に凸してみたレポートである。

自分は、名前の変更のときは、郵送で家庭裁判所とやりとりし、一度も出廷しなかった。今回も郵送でもできたのだが、せっかくなので直接申し立てしに行くことにした。ブログのネタにもなるし。

なお、以下は、自分の居住区の裁判所で、自分が申し立てしたときのことであり、地域や当事者によって多少変わることがあるのをご承知いただきたい。

 

書類などを持参し、居住区の家庭裁判所へ。特に予約などは要らない。

一般来所者用入口に向かうと、手荷物チェックがある。荷物を全部下ろし、X線で検査され、自分も金属探知機を通る。さながら空港か、もしくは舞浜の某園のようである。

それを抜け、申し立て希望者用の窓口に行き、順番を待つ。

呼ばれたら、申立書と診断書と戸籍謄本をを提出する。

ここで、自分は罠に引っ掛かった。戸籍謄本(全部事項)を取って安心していたのだが、「生まれてから今まで」のものが必要だというのを見落としていた。自分の場合、出生時の戸籍→それが平成中期にデジタル化で再編されたもの→名前の変更のときに出生地からいちいち取り寄せるのが面倒で親の戸籍から独立したときのもの の3種があるのだが、役所でただの「戸籍謄本」を取ったら、一番最新のやつしかなかったのである。

これを担当してくれた職員さんに指摘され、急遽、古い2本を取る必要が出てきた。出生地に連絡して郵送で送ってもらってまた持参して…という手間と時間を想像して絶望していた自分に、職員さんから朗報が。

「今年の3月から、全国どこの役所でも戸籍を出力できるようになったんですよ」

ΩΩΩ<な、なんだってー!?

今まで、他県にある戸籍の謄本とかは、その役所に直接行くか、郵送で取り寄せるしかなかった。例えば五年前から今まで東京に住んでいても、生まれたのが北海道だったら、「生まれた年~五年前の内容の戸籍謄本」は、北海道に行くか、北海道の役所に依頼して郵送してもらうのを待つしかなかった。

それが、今年から、東京の区役所でも、北海道時代の戸籍を出力してくれるようになったというのだ。

ほー、いいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので。

とりあえず申立書は受理してもらえたので、今住んでいる区役所で「生まれたとき~現在地に戸籍を移すまで」の戸籍謄本を取り、裁判所宛てに送ればOKと教えてもらい、受理された控えを渡され(これは「家事事件」なので、「事件番号」というIDが割り振られており、今後のやりとりのために控えをもらえる)、終了。比較的空いていたのもあり、だいたい30分ぐらいで裁判所を出た。

そして、その足で区役所に行き、「生まれてからの謄本で」とお願いしたら、本当に他県の時代の戸籍まで出してくれた。生まれた頃、すなわち平成初期の戸籍は初めて見たので、興奮して写メを撮ってしまった。ここで「写メ」という言葉を使うあたり、平成初期生まれがバレる。

忘れる前にそのまま郵便局で裁判所に書留で発送し、一連の手続きは終了。意外とあっけなかった。

 

このあとの流れとしては、週明けくらいに裁判所の担当書記官から、追加で質問を書いてある手紙が届くらしい。それに記入して送り返し、その後に直接裁判所に出廷して面談をして、ようやく判決が出るそうだ。8月末には決着が付くだろうか。少なくとも、涼しくなる前には、書類上も男になれそうだ。

長かった。先が見えて、少しだけ晴れやかな気持ちだ。まぁ、実際の生活では、判決の前も後も、何も変わらないんだけれど。

朝起きて、髭を剃り、着替えて、満員電車で出勤して、仕事して、男子トイレの個室で用を足して、満員電車で帰る。女性専用車両には今もこの先も乗らないし、女子トイレも使わない。食べ放題は今もしっかり男性料金で食ってるし、女性用のサービスは当然のように自分の隣にいる彼女にしか案内されない。繁華街を歩くと、何かの店のお姉さんに「いかがですか~?」と声を掛けられる。サービスしてもらうアレを持たないので当然ついて行かないが、最近の好みは白桃○なさんだ。

ただ、保険証に書いてある「女」の字は、もうすぐ「男」に変わる。それだけ。

『性別に違和感があるって何?勘違いじゃなくて?』って話

昨夜からずっと、いろいろと語りたい気分だ。

そういうときにブログというのは非常にちょうど良いので、今日もまた、自分の中の整理も兼ねて書き連ねてみる。

 

いきなり本題だが、自分はシスジェンダーの気持ちがわからない。身体の示す性別と、自分の思う性別が完全一致したことがないからだ。手術し、女性機能は失ったが、男性機能は現代医療では得られない。戸籍が男性になっても、自分が自分の身体で射精することは一生ない。だから、本当の意味での『シスジェンダーの感覚』は、絶対にわかることはない。

だから思う。シスジェンダートランスジェンダーの気持ちを完全に理解するのも不可能だと。だって彼らは、身体と自認の性別が違ったことはないし、我々同様に手術をしても別の性別の身体は完全には得られないのだから。

ならば、どうすれば良いか。

せっかく人類には言語というツールがあるのだから、できる限り言語で表現してみたい。

 

よくシスジェンダーに「性別の違和感って何?」と聞かれる。彼らにはわからないのだから、当然の疑問だ。

困るのが、それから発展して、「スカートが嫌いなシス女性もいる」「スカートを履いてみたいシス男性もいる」「シス女性だって生理は嫌だ」「シス男性だってスーツは嫌いだ」etc…だから、「お前は勘違いではないか?」と疑念、否定になることだ。トランスジェンダーでこのやりとりを経験したことがない人の方が少ないのではないか。

以下は、これらを言われまくってきた自分の、個人的な反論である。

上記のような指摘は、確かにシスジェンダーでもよくある感覚なのだろう。しかし、これらはあくまで表面的な事案に過ぎない。

自分にはわからないので、シスジェンダーの皆さんに問いたい。貴方たちは、それを何十年も、途切れず、ことあるごとに感じてきましたか?そのような場面の度に、自分という存在を否定され、心がスッと冷えて死んでいく感覚になりますか?

生理が嫌だ。鬱陶しい。そりゃほぼ全ての身体女性がそうだろう。だが、毎月生理が来る度に、吐き気がするほどの嫌悪を感じ、自分の身体を呪いますか?なぜ自分に生理が、子宮があるのだろうと、答えのない問いを何十回も考えましたか?逆に、なぜ自分に陰茎がなく、射精機能がないのだろうと考えましたか?

スカートを履くのが嫌いだ。ファッションだから、そう言うシスジェンダーもいるだろう。しかし、学校の制服でスカートを履かざるを得なくなったとき、なんとかしてスラックスにできないか、せめてキュロットにできないか、必死に考えましたか?毎朝制服を着るたび、自分の生まれた性別を恨みましたか?セーラー服を着て登校し、女性名で「○○さん」と呼ばれ、女子トイレで座って用を足す…この全ての段階に、疑問を持ちますか?なぜ自分が学ランを着て「○○くん」と呼ばれ立ちションができないのか、と考えますか?

そしてこれらを諦め、心を殺して、考えるのを辞めて、受け入れた経験はありますか?

この溝が埋まらない限り、シスジェンダーの人たちと我々トランスジェンダーは、一生わかりあえないだろうと思う。

だからといって、この感覚の共有すらも諦めてはなるまい。ごまめの歯ぎしりに過ぎなくても、自分はできる限りトランスジェンダーの気持ちを書き残して、そして死にたい。

 

さて、今日は、そんなちっぽけなトランスジェンダーが、貴重な休みを利用して、切手と収入印紙と診断書と申立書を持って家庭裁判所に行ってきます。これまたシスジェンダーならやらなくてもいい手間ですね。

シスジェンダーの「嫌なこと」は、このような手間を受け入れても、変えたいと思うのだろうか?教えて欲しい。

『未手術で性別変更許可』の判決ニュースで

本来、このブログは自分の性別変更の備忘録だが、今日まさに世間で話題になった表題の判決について思うところがあったので、少しばかり書いておこうと思う。

これが、性同一性障害の当事者や支援者のみならず、むしろ戸籍の性別変更に懐疑的、否定的な人に届いてほしいと願う。

 

今日、『性別適合手術を受けていない男性の戸籍上の性別を女性に変更することを許可する判決を地方裁判所が出した』というニュースが出た。

これに関して、インターネットではさまざまな意見が飛び交った。正直、大半が否定的な意見であった。自分がもし多感な思春期だったら、自殺も考えかねないような過激な意見もあった。

この判決の是非について考えるのは、原告、そして裁判所の仕事であるので、一旦置いておく。ただ、インターネットで見かけた批判の中で、いくつか誤解を含むものがあったので、当事者として訂正させていただきたい。

 

批判的意見の中で一番多かったのが、『この判決のせいで、男性器を持った者が堂々と女性のスペース(女湯、女子更衣室、女子トイレ)に入ってこれるようになった』『女性の安全が失われた』と嘆くものだった。

結論から言うと、そうはならない。ただ、ここではこの意見を否定するだけではなく、なぜこれが誤解であると言えるのか、そしてなぜこのような意見があちこちから噴出したのかを考えてみようと思う。

まず、この意見の根底に、『裁判』『判決』『判例』そして『法律』の誤解、無理解があると思う。

義務教育で、『三権分立』というものを教わったと思う。日本では、司法、立法、行政は、それぞれ独立して動いているのだ。それぞれが互いに働きかけることはあるが、一つが動くと同時に他のものが同じ方向に動くようにはできていない。

これを性別変更のことに照らし合わせてみると、『未手術である原告の性別変更を許可する』と、司法権を持つ裁判所が判断をした。しかし、立法、行政は独立しているため、少なくとも本日の時点では何も動いていない。すなわち、戸籍変更にまつわる法律はまだ一言も書き換えられていないし、それを実際に運用するシステムもまだない。

だから、この裁判の原告を除き、『男性器を持った者でも申請すれば誰でも戸籍を女性に変更できる』ような法律にはまだなっていないし、ましてそのような者を誰でも女性スペースに入れるようにせよ、という国単位の運用も存在しないのである。

興味のある人は、裁判所公式サイトの以下のページの「1.概要」を読んでみてほしい。

www.courts.go.jp昨年、最高裁の判決が出たことは示してあるが、本日もなお、性別変更の要件から「生殖腺を永久に欠く状態であること」という文言は消えていない。なぜなら、令和6年7月10日の時点で、法律は何も変わっていないからだ。

 

そしてもう一つ。戸籍変更は、基本的には家庭裁判所で行う家事裁判である。家事裁判とは、平たく言うなら、国民個人にまつわる小さなゴタゴタの解決や法的、書面的な手続きだ。わかりやすい例で言うと、離婚調停、遺産相続、キラキラネームの改名などが、これに当たる。自分も、性別変更のために、個人単位での『家事事件』の『裁判』を起こしているところだ。

家裁から地裁まで発展した今回の判決、そして昨年末の最高裁まで至った判決もだが、これらはあくまで『その裁判の原告において』の判決にすぎない。

性別絡みであるせいで少しわかりにくいので、他に置き換えた例を挙げる。

同じ家事事件である離婚調停をしていたAさんとBさんがいた。調停はなかなか決着がつかず、長期間争うことになった。最終的に、『AさんとBさんの離婚を認める。離婚の原因となった浮気をしたAさんは、Bさんに慰謝料200万円を支払い、財産は分割せよ』と裁判で結論が出たとする。この判決だけを根拠にして、『日本で浮気をした者は無条件で200万円を配偶者に払って離婚しなければならない』という結論に至るだろうか?「いやいや、そんなの各家庭ごとに違うでしょ」と思わないだろうか?

上記はいささか乱暴な例であるが、自分が言いたいのはこの例と同じで、「判例が一つあると言っても、実際はそれぞれのケースで違うでしょ」ということである。一つ判例があっても、今後の裁判が全例「右向け右」ではない。

もちろん、今回の地裁や昨年の最高裁の判決が、今後『過去の判例』として参考とされることは間違いない。だが、あくまで、戸籍の性別変更は各個人の問題、事件である。現行の法律、制度下でも、戸籍の性別変更には、正式な手順で書類を全て揃えて提出し、費用を全て納め、裁判所からの質問に返答し、求められた場合は出頭して面接を受ける必要がある。裁判所もバカではない。原告が本当に戸籍変更をすべき人間か、判断する手順を設けている。

今回の『判例』を受けて今後変わることとして、確かに裁判所の判断基準が「必ずしも手術をしていなくても良い」と更新されるだろう。だが、それは、「手術こそしていないが、ホルモン治療をしていたり、外見や振る舞い、その他の血のにじむような努力をもって、希望の性別として暮らしている(埋没)もしくは今後暮らしていける」ような人も性別変更対象にできるようになったにすぎず、一部が懸念しているような「完全未治療で、希望の性別として実際に暮らしていけるとは思い難い、ただ『女湯に入りたいだけの男』」の戸籍を変更するようになると考えるのは、あまりに安易ではないか。

今回の判決、そして昨年の最高裁の判決は、いずれも『該当裁判の原告が』未手術で戸籍を変更する許可を出したものであり、今後の裁判所はそれを参考にして個別に判断できるようになった。それ以上でも以下でもない。

正直、これらは、法律関係者や実際に裁判手続きをしたことがある人でないとわからない部分が大きいだろう。マジョリティの大半が勘違いを起こすのも当然だ。

 

そしてもう一つ見かけた意見。

『この判決が出たせいで、好き勝手に性別を変えられるようになった』。

これもまた、誤りである。今回の判決で出たのは、戸籍の性別の変更許可である。日常生活でのジェンダー自認の揺らぎはいざ知らず(揺らぎの大きな原告ではこんな判決は出るまいが…)、戸籍の変更は非常に労力を要する。前述のとおり、裁判レベルなのである。これを『好き勝手』と表現するのは、費用も時間も労力も使って裁判を起こす原告にも、対応する裁判所にも失礼だ。

加えて、重大なことがある。裁判所は、一度出した判決は、そうそう変更させてくれない。これは控訴や上告で判決が覆るときの話ではなく、判決が確定した後の修正は非常に困難だという意味である。戸籍の性別を変更した後に、「やっぱり戻してくださーい」なんてことは、まずできない。よほどの理由がない限りは不可能だろう。これも、『好き勝手に性別を変えられる』という意見が不正確な理由である。

 

まとめると、今回の判決でシスジェンダー(主に女性)の安全を危惧する方が多いが、この判決はあくまで地裁の原告であったトランスジェンダー当事者の戸籍変更が認められたことに過ぎない。

今後、もしもトチ狂った立法が性別変更の要件を全撤廃して『自己申告だけで性別変更を許可します!』とし、行政もまた全国にそれを適用した場合には、危惧されている『男性器を持ったまま戸籍を女性にしたよからぬ者が女湯に大手を振って侵入し、シスジェンダー女性が強姦される』ことも起こりうるかもしれない。しかしそれはかなりレアケースな想像であり、百歩譲って現実になったとしても、裁かれ非難されるべきはその性犯罪者である。大半の善良なトランスジェンダーを全員犯罪者扱いするのは、愚の骨頂だ。ましてや、そんな法的根拠のない今の時点でトランスジェンダーを全員まとめて危険分子扱いするのは、ただのヘイトスピーチである。今回の判決を『トランスジェンダーのせいでシスジェンダー女性の安全が失われた』『トランスジェンダーが戸籍を変えてくるなんてこの世の終わりだ』と嘆くのも、その言葉が善良なトランスジェンダーの心を殺す刃になると気付いてもらえれば、自分も夜更けに長々と書いた甲斐がある。

 

補足。

トランスジェンダー性同一性障害のくせに、なんで手術しないの?自分の身体に違和感があるんじゃないの?性器取ればいいじゃん』という意見もあった。

これに対し、悩んだ末に実際に手術で生殖器を『取った』自分の私見を述べる。

未手術の性同一性障害当事者には、手術を『しない』人もいるが、手術が『できない』人もいる。

『しない』人の理由は、主にその人の信念だ。身体にメスを入れたくない、痛い思いをしたくない、性別に違和はあるがなんとかやっていけている。いろいろあるだろう。

重要で、かつ見落とされがちなのが、『できない』人だ。性別適合手術は、間違いなく手術だ。身体を、しかも健康な臓器を切り取るものだ。もちろん痛い。心臓など、身体に負担もかかる。感染症や他の臓器を傷付けるなどのリスクもある。運が悪いと命にもかかわる。そして、ホルモン注射などの自費治療を開始前でない限り、日本では完全自費治療となるため、手術だけで100万円以上が吹き飛ぶ。海外で受けるとすると、渡航費用などもかかる。術前術後は仕事や学校も休まなければならない。

これらのリスクを、当事者の全員が背負えるわけではない。実際、自分の知人にも、身体的な持病のせいでホルモン注射や手術を受けられないままでいる当事者がいる。彼らは、いくら希望の性別に埋没して暮らしていたとしても、生まれたときの性別のまま、ただただ息をひそめて生きている。外見の性別と身分証の性別が違うせいで、偽装身分証を疑われたり、訝しがられて賃貸の契約を断られたりしながら。

今回の判例が、自分の知人のように手術を『できない』人にとっての救いの光になる、と思うことはできないだろうか。

 

最後に。

今回の判決や、その原告の当事者への不満、批判などは、自分は一切ない。裁判を戦い抜かれたことへの称賛の気持ちでいっぱいだ。

むしろ、モヤモヤしているのは、国の制度に対してである。

今、インターネットにヘイトスピーチまがいの批判が溢れている原因の一つに、国の動きの遅さがある。

以下に、モヤモヤする点を書き連ねてみる。

・いつまでホルモン治療が自費治療なのか?そのせいで、ホルモン治療済みの当事者(大半が該当する)の性別適合手術は自費治療扱いのまま。

性同一性障害の診断、性別適合手術の可否の判断の質にバラつきが大きい。手術は国内でできる病院の数の偏りも酷い。関東地域には「関東ジェンダー医療協議会」という医師団体があるが、同様の協議会を全国規模で均質に作るべきでは?(これはジェンダー医療協議会所属の主治医の意見でもあった)

LGBT法って結局何が変わったん?ヘイトを産んだだけでは?

モヤモヤ、イライラは、当事者じゃなくて国に向けてね。マジョリティの皆さん。

 

おまけ

『女性になりたがる出生時男性』『女性扱いを希望する出生時男性』の話ばかりが流れてくる。万が一のときの危険性が高い人にシスジェンダー女性が多いせいでもあるかもしれないが、『男性扱いを希望する出生時女性は存在しない(だから女性スペースを希望するMtFは全員性犯罪者)』というのは間違いだ。埋没しているので気付かれないだけで、男子更衣室でこっそり着替えていたり、男子トイレの個室で用を足したりしている男性自認の出生時女性(FtM)は、ちゃんとこの世に存在する。

むしろ、彼らは、外見が男性っぽくなり始めた時点で、早々に女性スペースの入り口で足止めされたり、女性スペースから排除されてたりして、結果的に早急に男性に埋没し、男性スペースを利用することを強いられるようになることが多い。

以下は、実際にインターネットで見たシスジェンダー女性の意見と、それに対して、排除された経験のある者が思ったことである。

『女性スペースに入れるのは戸籍上女性だけにしろ!』→戸籍上女性(変更前)だがホルモン治療で声が低かったり髭が生えてたり乳房を切除済みだったりするFtMは入れるのか?

『戸籍を女性に変更しても男性器があったら入るな!身体で決めろ!』→同上。また、戸籍を男性に変更済みだけど陰茎は造っていない、外性器は女性型のままのFtMは?髭があって乳房は切除済みだけど子宮卵巣はあったら男湯?女湯?

矛盾がおわかりいただけただろうか。

結局は、明確な基準を設けるのは非現実的なのではないか。戸籍上の性別変更は「切り替え」だが、身体面、社会面はあくまで「移行」なのだから。

経験談としては、「そのときの状態で埋没できる(大騒ぎにならない)方を選ぶ」が自分が学んだ正解であり、善良な当事者はそれを目指して日々を生きている。騒ぎを起こそうとしたり、他者に触れようとしたりするのは、セクシュアリティ関係なくただの性犯罪者である。そいつらは迷わず処せ。人類の敵だ。

 

追記

『当事者が望んでるのは未手術での戸籍変更より手術の保険適応なんだが』というツイートを見た。

前述の通り、未手術での許可で恩恵を受ける人もいる。しかし、手術を受けたいが金銭的理由で受けらない人だって多いのだから、さっさとホルモン治療をしてても手術を保険適応にしてほしい。

異性婚も同性婚もどっちも認めてくれよ、と同じ感覚である。

なお、自分が見ているのは「Twitter」であり、「X」なるSNSに登録した記憶はないので、「ツイート」という言葉は間違いではない。悪しからず。

入院後記

手術から約一週間が経ったことだし、ざっくりと振り返っていこうと思う。

今回のお品書きは以下のとおり。

退院前後の話

前回の記事の後、久しぶりにシャワーを浴びて全身スッキリした。もし自分がディ○ニープリンセスだったら、間違いなく『生まれて初めて』を歌い狂いながらアレ○デールを駆け回っていただろう。

股間の痛みや腹痛は段々と引いていき、重めの生理痛くらいになっていった。むしろ、病室に飽きたことによる退屈と、ベッドが合わないことによる体の痛みのほうが苦痛だった。

そんな矢先、主治医から「意外と元気そうだから、希望するなら1日退院を早めても良い」との言葉があり、大喜びでお願いした。

退院前に再度診察を受けたが、そのときの処置と内診が激痛で、股が避けて死ぬかと思った。内診台のある婦人科外来での診察だったので、人の少ない時間に診てもらったとはいえ、待合室には普通に受診にきている女性がいた。『内診室から野太い声の悲鳴を出すわけにはいかない』というわずかな理性で悲鳴を噛み殺し、なんとか耐えた。長男だから耐えられたが、次男だったらこうはいかなかっただろう。

そして無事、解放されたのであった。数日ぶりのシャバは、びっくりするほどに暑かった。迎えにきてくれた彼女がくれたソル○ィライチが、全身に沁みた。

 

入院の振り返り

病院について

関東の総合病院の婦人科の受診、入院だったが、タイには負けるかもしれないもののかなりSRSに慣れていたようで、オペレーションがとにかく完璧だった。

術前の診察や、前述の退院時診察は婦人科外来で行われたので、当然ながら婦人科疾患で来ているシス女性がいた。その中に、子宮を持っている(いた)とはいえどう見ても男の外見の自分が入っていくのは、かなりハードルが高かった。

手術のずいぶん前、GIDの診断の過程でも婦人科診察が必要なのだが、そのときもかなり居心地が悪かった。そこからさらに数年、男性ホルモンを打ち続けた姿で行くのは、正直尻込みしていた。自治体から子宮がん検診のお知らせも届いていたが、検診会場で奇異の目に晒されるのは容易に想像できるので行く気になれず、ハガキは毎回捨てていた。少し前に不正出血があり、婦人科に行かざるを得ないときがあったが、そのときもGID対応の婦人科を検索しまくり、自宅から距離のある病院だったが仕方なくしばらく通った。

それくらい、GIDが身体の性のところに入ること、特にFtMが婦人科に行くことは、心理的ハードルが高いのだ。正規の理由がある婦人科の待合室でさえ肩身が狭いのだから、たとえ子宮があっても、女湯になんて行けるわけがあるまい。

今回の病院は、その複雑な『GIDゴコロ』を、よく理解してくれていた。

婦人科外来では、婦人科部門の中の待合ではなく、その前の共用廊下にある長椅子で待つよう案内された。共用の場所なので、当然ながら老若男女がいておかしくない場所にある長椅子である。実際、隣の椅子には別の検査を待っているであろう老夫婦がいたりした。そこで診察の順番が来るまで待機し、順番になると看護師さんが呼びにきてくれ、中の待合室に座ることなく直接診察室に行けるのである。その流れが良い意味でとても慣れていて、淀みなかった。このおかげで、婦人科受診のハードルが1/10くらいに下がった。

また、採血や心電図などの術前検査のときも、呼び出しの際に他の人は「田中花子(仮)さーん」などどフルネームで呼ばれている中、自分は「鈴木(仮)さーん」と苗字だけで呼ばれた。その上で、いざ検査をするというときに、検査オーダーの用紙や採血管のラベルを見せられ「お名前は合ってますか?」という形で確認された。これも、改名前で、変化済みの外見の性別に似合わない名前のGIDへの配慮だろう(『山下健太郎(仮)』さんが呼ばれて綺麗なロングヘアの可愛いワンピースの人が入って行ったら、悪目立ちするのは避けられまい)。自分は男性名に改名済みなのであまり関係なかったが、これもありがたい配慮だった。

一番強調したいのは、医師、看護師、検査技師、事務…どの職員さんも、これらの対応に慣れていた様子であったことである。つまり、ぎこちなさがなく、周囲はおろか自分すらも配慮に気づかないくらいに、自然だったのである。

複雑なGIDゴコロとして、『悪目立ちしたくない』『奇異の目で見られたくない』『でも特別扱いや腫れ物に触るような扱いはされたくない』というのがある。カムアウトした結果、いじめられることはなくても、腫れ物を触るような対応をされるようになって逆に傷ついた…ということは、おそらくほぼ全てのLGBTQが経験したことがあるのではないだほうか。

『レズの人』『ゲイの人』『トランスジェンダーの人』としてラベリングされ、一個人の『自分』として対応してもらえない感覚。『配慮』と『ラベリング』は違う。説明が難しいのだが、気遣って対応を考えてくれるのと、腫れ物を触るように特別対応されるのは、される側としては全く違う。後者はすぐにわかる。『異物』『特殊な存在』として扱われている感覚に、スーッと心が冷える感覚がして、心がじわりと死ぬ感じがするのだ。

マジョリティに接するときと変わらずに、普通に接してくれていいのだ。たまにバリアが現れて本人がまごついている、あるいはまごつきそうなときに、「君はこのやり方でしたら?」と別ルートを教えてくれるとか、「どうやったらできる?」と希望を聞いてくれるとかで十分すぎる。きっとこれはいろんなハンディや個性を持つ人全てに通じることだと思う。

もちろんそれはマジョリティには伝わりにくい感覚だろうから、トライ&エラーで得られるものなのだろう。毎日のようにSRSをやっているタイの病院は、きっとそのあたりの自然な対応が、息をするようにできるのだろう。しかし、日本の病院も捨てたもんじゃない、と言いたい。日本の病院でも、良い病院は、『SRSしにきたトランスジェンダー』とラベリングして思考を遮断するのではなく、『術前/術後の患者である鈴木(仮)』としてマジョリティの患者と変わらない対応をすることができるのだ。

長々と語ったが、要するに、自分すらもLGBTQであることを忘れられるほど自然に過ごせた入院生活に、心から感謝している。

どの病院だったかは、身バレ防止のために明記できないが、気になる人は、連絡をいただければ何らかの方法で病院名をお伝えしようと思う。

 

持参品の反省

持参して良かったもの

・無印のルームシューズ

先日の記事で全力でダイマした、残反を使ったルームシューズ。すごく履き心地がよく、しかも激安だったのだが、どうやら残反ゆえ品切れしつつあるらしい。見かけたら、入院する予定がなくても買っておいて欲しいくらいおすすめだ。

あれでなくとも、ルームシューズはあるべきだろう。ベッドとトイレの往復や、痛み(+ADHD)でじっとしているのがつらいときに個室内をうろうろするのにも重宝した。

 

・500mlのペットボトルの水 10本

入院時こそかさばるし重かったが、痛みで売店で買いに行けないときに本当に助かった。そして『500ml』というのがミソ。2ℓでは、健康時ならいざ知らず、術後のしんどいときにはラッパ飲みなんてできず、コップにいちいち注がないと飲めない。その『注ぐ』という動作すら、しんどいときは億劫になるのである。しかし、500mlボトルなら、開けてそのまま飲めた。コップやストローすら使わずラッパ飲みできたので、ベッドの上でスマホ、水のペットボトルと一緒に寝転がって苦しんでいたとき、水を一口二口飲んで気を紛らわせることができたのも良かった。

 

・箱ティッシュ

噂通り、やはり病室にはティッシュはなかったので重宝した。ポケットティッシュより箱ティッシュのほうが取りやすくて良かった。

 

・体を洗うボールタイプのやつ

要するにこれだ。

https://www.ikea.com/jp/ja/p/abyan-body-puff-multicolour-20285139/

体を洗うタオルも病室にはなかったため、これを1個だけ持参した。かさばらないし、ちゃんと洗えるし、とても役に立った。

 

・推しのフィギュアとぬいぐるみ

とにかく癒された。

エ○モぬいは看護師さんたちに好評だった。Q-posketは「これは何のキャラですか?」と聞かれがちだったので、毎回「東京リベ○ジャーズのマ○キーの未来の姿です」と解説していた。マイ○ーは意外と一般知名度があるらしく、名前を出すと全員の看護師さんがわかってくれた。しかし、説明しないとわかってもらえない未来の姿のフィギュアを持参したのは、後にも先にも自分だけだろう。

 

持参したけど使わなかったもの

・ストロー、ストローを刺せるペットボトルのフタ、ストローを刺せるフタ付きのコップ

前述のように、500mlのペットボトルをラッパ飲みしたので、ストローは一本も使わなかった。術後が翌日まで絶飲食で、解禁される頃には体を起こして水を飲める程度には動けたからというのも大きい。

もし上半身の手術だったり、開腹するような手術だったら、使っていたかもしれない。

コップは歯磨き用にだけ使った。当然ストローは刺さないので、フタは要らなかった。

 

・PC用ゲームパッド(プレステみたいなコントローラー)

オープンワールドRPGをやるつもりで持ち込んだが、そんな場合じゃあなかった。

痛みがおさまってからも、じっとしているのがつらく、腰を据えてゲームなんてできなかった。

完全に要らなかった。

 

・シームレスパンツ

これは完全に盲点だった。

スルスルした生地のシームレスパンツのほうが術後に楽かと思って持参したのだが、術後はナプキンを装着する必要があるのを考えていなかった。否、ナプキンが必要なのはわかっていたが、ナプキンとシームレスパンツの相性が最悪だとは知らなかった。

スルスルすぎて、めちゃくちゃ剥がれるのである。

長らくナプキンを使っていなかった&使っていた頃はシームレスパンツなんてなかったせいで、知らなかった。わざわざサニタリーパンツを買わずとも(ホルモンで生理の止まったFtMの多くはサニタリーパンツをとっくに捨てていると思う)、普通のボクサーパンツで十分なのだが、普通の綿のパンツを持参すれば良かった。これはハチャメチャに後悔した。

 

・彼女宛ての委任状(遺言書)

自分の意識不明時の諸判断は彼女に一任することと、銀行やクレカの暗証番号を書き記し、押印、封をした封筒。

実際の効力があったかはわからない。幸いにして、使うことはなかったから。

 

不足したもの

・ナプキン

術後に出血があるとは聞いていたので、術後4日目に退院の計算で、多い昼用10枚、夜用5枚を用意したが、正直足りなかった

出血量は、手術翌日はかなりあったものの、多めの日の生理くらいで、溢れるとかは一切なかった。2日目以降は、量も少しずつ減っていった。

問題は量ではなく、臭いだ。

遠い記憶だが、かつての生理のときのナプキン交換では感じなかった、独特の生臭い悪臭。出ていたのが経血ではなく、内臓の傷口から出た血液(経血よりも真っ赤な鮮血が出ていた)と体液が混じったものだったからだろうか。

量よりも臭いに耐えられず、想定以上にナプキンを交換することになり、術後3日目の昼には底をついてしまった。予定より1日早く退院させてもらえたのは、そういう意味でも有り難かった。退院してすぐにナプキンを買い足して装着して、事なきを得た。

1パックくらい持参しても良かった気がする。

 

ざっとこんな感じだろうか。

そして手術が終わり、ついにここからが戸籍変更編である。

それはまた別のエントリに書いていくこととしよう。