とりかへばや日記

戸籍の性別を取り替えるまでの記録

入院後記

手術から約一週間が経ったことだし、ざっくりと振り返っていこうと思う。

今回のお品書きは以下のとおり。

退院前後の話

前回の記事の後、久しぶりにシャワーを浴びて全身スッキリした。もし自分がディ○ニープリンセスだったら、間違いなく『生まれて初めて』を歌い狂いながらアレ○デールを駆け回っていただろう。

股間の痛みや腹痛は段々と引いていき、重めの生理痛くらいになっていった。むしろ、病室に飽きたことによる退屈と、ベッドが合わないことによる体の痛みのほうが苦痛だった。

そんな矢先、主治医から「意外と元気そうだから、希望するなら1日退院を早めても良い」との言葉があり、大喜びでお願いした。

退院前に再度診察を受けたが、そのときの処置と内診が激痛で、股が避けて死ぬかと思った。内診台のある婦人科外来での診察だったので、人の少ない時間に診てもらったとはいえ、待合室には普通に受診にきている女性がいた。『内診室から野太い声の悲鳴を出すわけにはいかない』というわずかな理性で悲鳴を噛み殺し、なんとか耐えた。長男だから耐えられたが、次男だったらこうはいかなかっただろう。

そして無事、解放されたのであった。数日ぶりのシャバは、びっくりするほどに暑かった。迎えにきてくれた彼女がくれたソル○ィライチが、全身に沁みた。

 

入院の振り返り

病院について

関東の総合病院の婦人科の受診、入院だったが、タイには負けるかもしれないもののかなりSRSに慣れていたようで、オペレーションがとにかく完璧だった。

術前の診察や、前述の退院時診察は婦人科外来で行われたので、当然ながら婦人科疾患で来ているシス女性がいた。その中に、子宮を持っている(いた)とはいえどう見ても男の外見の自分が入っていくのは、かなりハードルが高かった。

手術のずいぶん前、GIDの診断の過程でも婦人科診察が必要なのだが、そのときもかなり居心地が悪かった。そこからさらに数年、男性ホルモンを打ち続けた姿で行くのは、正直尻込みしていた。自治体から子宮がん検診のお知らせも届いていたが、検診会場で奇異の目に晒されるのは容易に想像できるので行く気になれず、ハガキは毎回捨てていた。少し前に不正出血があり、婦人科に行かざるを得ないときがあったが、そのときもGID対応の婦人科を検索しまくり、自宅から距離のある病院だったが仕方なくしばらく通った。

それくらい、GIDが身体の性のところに入ること、特にFtMが婦人科に行くことは、心理的ハードルが高いのだ。正規の理由がある婦人科の待合室でさえ肩身が狭いのだから、たとえ子宮があっても、女湯になんて行けるわけがあるまい。

今回の病院は、その複雑な『GIDゴコロ』を、よく理解してくれていた。

婦人科外来では、婦人科部門の中の待合ではなく、その前の共用廊下にある長椅子で待つよう案内された。共用の場所なので、当然ながら老若男女がいておかしくない場所にある長椅子である。実際、隣の椅子には別の検査を待っているであろう老夫婦がいたりした。そこで診察の順番が来るまで待機し、順番になると看護師さんが呼びにきてくれ、中の待合室に座ることなく直接診察室に行けるのである。その流れが良い意味でとても慣れていて、淀みなかった。このおかげで、婦人科受診のハードルが1/10くらいに下がった。

また、採血や心電図などの術前検査のときも、呼び出しの際に他の人は「田中花子(仮)さーん」などどフルネームで呼ばれている中、自分は「鈴木(仮)さーん」と苗字だけで呼ばれた。その上で、いざ検査をするというときに、検査オーダーの用紙や採血管のラベルを見せられ「お名前は合ってますか?」という形で確認された。これも、改名前で、変化済みの外見の性別に似合わない名前のGIDへの配慮だろう(『山下健太郎(仮)』さんが呼ばれて綺麗なロングヘアの可愛いワンピースの人が入って行ったら、悪目立ちするのは避けられまい)。自分は男性名に改名済みなのであまり関係なかったが、これもありがたい配慮だった。

一番強調したいのは、医師、看護師、検査技師、事務…どの職員さんも、これらの対応に慣れていた様子であったことである。つまり、ぎこちなさがなく、周囲はおろか自分すらも配慮に気づかないくらいに、自然だったのである。

複雑なGIDゴコロとして、『悪目立ちしたくない』『奇異の目で見られたくない』『でも特別扱いや腫れ物に触るような扱いはされたくない』というのがある。カムアウトした結果、いじめられることはなくても、腫れ物を触るような対応をされるようになって逆に傷ついた…ということは、おそらくほぼ全てのLGBTQが経験したことがあるのではないだほうか。

『レズの人』『ゲイの人』『トランスジェンダーの人』としてラベリングされ、一個人の『自分』として対応してもらえない感覚。『配慮』と『ラベリング』は違う。説明が難しいのだが、気遣って対応を考えてくれるのと、腫れ物を触るように特別対応されるのは、される側としては全く違う。後者はすぐにわかる。『異物』『特殊な存在』として扱われている感覚に、スーッと心が冷える感覚がして、心がじわりと死ぬ感じがするのだ。

マジョリティに接するときと変わらずに、普通に接してくれていいのだ。たまにバリアが現れて本人がまごついている、あるいはまごつきそうなときに、「君はこのやり方でしたら?」と別ルートを教えてくれるとか、「どうやったらできる?」と希望を聞いてくれるとかで十分すぎる。きっとこれはいろんなハンディや個性を持つ人全てに通じることだと思う。

もちろんそれはマジョリティには伝わりにくい感覚だろうから、トライ&エラーで得られるものなのだろう。毎日のようにSRSをやっているタイの病院は、きっとそのあたりの自然な対応が、息をするようにできるのだろう。しかし、日本の病院も捨てたもんじゃない、と言いたい。日本の病院でも、良い病院は、『SRSしにきたトランスジェンダー』とラベリングして思考を遮断するのではなく、『術前/術後の患者である鈴木(仮)』としてマジョリティの患者と変わらない対応をすることができるのだ。

長々と語ったが、要するに、自分すらもLGBTQであることを忘れられるほど自然に過ごせた入院生活に、心から感謝している。

どの病院だったかは、身バレ防止のために明記できないが、気になる人は、連絡をいただければ何らかの方法で病院名をお伝えしようと思う。

 

持参品の反省

持参して良かったもの

・無印のルームシューズ

先日の記事で全力でダイマした、残反を使ったルームシューズ。すごく履き心地がよく、しかも激安だったのだが、どうやら残反ゆえ品切れしつつあるらしい。見かけたら、入院する予定がなくても買っておいて欲しいくらいおすすめだ。

あれでなくとも、ルームシューズはあるべきだろう。ベッドとトイレの往復や、痛み(+ADHD)でじっとしているのがつらいときに個室内をうろうろするのにも重宝した。

 

・500mlのペットボトルの水 10本

入院時こそかさばるし重かったが、痛みで売店で買いに行けないときに本当に助かった。そして『500ml』というのがミソ。2ℓでは、健康時ならいざ知らず、術後のしんどいときにはラッパ飲みなんてできず、コップにいちいち注がないと飲めない。その『注ぐ』という動作すら、しんどいときは億劫になるのである。しかし、500mlボトルなら、開けてそのまま飲めた。コップやストローすら使わずラッパ飲みできたので、ベッドの上でスマホ、水のペットボトルと一緒に寝転がって苦しんでいたとき、水を一口二口飲んで気を紛らわせることができたのも良かった。

 

・箱ティッシュ

噂通り、やはり病室にはティッシュはなかったので重宝した。ポケットティッシュより箱ティッシュのほうが取りやすくて良かった。

 

・体を洗うボールタイプのやつ

要するにこれだ。

https://www.ikea.com/jp/ja/p/abyan-body-puff-multicolour-20285139/

体を洗うタオルも病室にはなかったため、これを1個だけ持参した。かさばらないし、ちゃんと洗えるし、とても役に立った。

 

・推しのフィギュアとぬいぐるみ

とにかく癒された。

エ○モぬいは看護師さんたちに好評だった。Q-posketは「これは何のキャラですか?」と聞かれがちだったので、毎回「東京リベ○ジャーズのマ○キーの未来の姿です」と解説していた。マイ○ーは意外と一般知名度があるらしく、名前を出すと全員の看護師さんがわかってくれた。しかし、説明しないとわかってもらえない未来の姿のフィギュアを持参したのは、後にも先にも自分だけだろう。

 

持参したけど使わなかったもの

・ストロー、ストローを刺せるペットボトルのフタ、ストローを刺せるフタ付きのコップ

前述のように、500mlのペットボトルをラッパ飲みしたので、ストローは一本も使わなかった。術後が翌日まで絶飲食で、解禁される頃には体を起こして水を飲める程度には動けたからというのも大きい。

もし上半身の手術だったり、開腹するような手術だったら、使っていたかもしれない。

コップは歯磨き用にだけ使った。当然ストローは刺さないので、フタは要らなかった。

 

・PC用ゲームパッド(プレステみたいなコントローラー)

オープンワールドRPGをやるつもりで持ち込んだが、そんな場合じゃあなかった。

痛みがおさまってからも、じっとしているのがつらく、腰を据えてゲームなんてできなかった。

完全に要らなかった。

 

・シームレスパンツ

これは完全に盲点だった。

スルスルした生地のシームレスパンツのほうが術後に楽かと思って持参したのだが、術後はナプキンを装着する必要があるのを考えていなかった。否、ナプキンが必要なのはわかっていたが、ナプキンとシームレスパンツの相性が最悪だとは知らなかった。

スルスルすぎて、めちゃくちゃ剥がれるのである。

長らくナプキンを使っていなかった&使っていた頃はシームレスパンツなんてなかったせいで、知らなかった。わざわざサニタリーパンツを買わずとも(ホルモンで生理の止まったFtMの多くはサニタリーパンツをとっくに捨てていると思う)、普通のボクサーパンツで十分なのだが、普通の綿のパンツを持参すれば良かった。これはハチャメチャに後悔した。

 

・彼女宛ての委任状(遺言書)

自分の意識不明時の諸判断は彼女に一任することと、銀行やクレカの暗証番号を書き記し、押印、封をした封筒。

実際の効力があったかはわからない。幸いにして、使うことはなかったから。

 

不足したもの

・ナプキン

術後に出血があるとは聞いていたので、術後4日目に退院の計算で、多い昼用10枚、夜用5枚を用意したが、正直足りなかった

出血量は、手術翌日はかなりあったものの、多めの日の生理くらいで、溢れるとかは一切なかった。2日目以降は、量も少しずつ減っていった。

問題は量ではなく、臭いだ。

遠い記憶だが、かつての生理のときのナプキン交換では感じなかった、独特の生臭い悪臭。出ていたのが経血ではなく、内臓の傷口から出た血液(経血よりも真っ赤な鮮血が出ていた)と体液が混じったものだったからだろうか。

量よりも臭いに耐えられず、想定以上にナプキンを交換することになり、術後3日目の昼には底をついてしまった。予定より1日早く退院させてもらえたのは、そういう意味でも有り難かった。退院してすぐにナプキンを買い足して装着して、事なきを得た。

1パックくらい持参しても良かった気がする。

 

ざっとこんな感じだろうか。

そして手術が終わり、ついにここからが戸籍変更編である。

それはまた別のエントリに書いていくこととしよう。

性別適合手術が終わりました

無事に手術が終わった。今日で術後2日目である。

昨日、一昨日はしんどすぎてブログなんて書く余裕はなかった。今日になって少し元気が出てきたので、振り返りつつ記録していこうと思う。

 

6/5 手術当日

朝イチで手術と言われていたため、起きてからずっとそわそわし続ける。

9時前にようやく呼ばれ、手術の時間に合わせて病院に来てくれていた彼女に少しだけ挨拶をして、手術室へ。

「眠くなる薬入れますねー」「深呼吸してくださーい」の次の瞬間、「終わりましたよー、わかりますかー?」と言われていた。胸オペと合わせて2回目の経験だが、やっぱり一瞬すぎてバグにおもう。3時間ほど経っていたようだが、自分は瞬きしかした記憶がないのだ。

半分、否、8割ほど寝ぼけたまま運び出され、待ってくれていた彼女に「ありがと〜終わったよ〜眠い〜」とかなんとか言ったような気がしないでもないまま、自室に帰された。

その日は絶飲食、ベッド上安静で体を起こすのも禁止。とはいえ、眠すぎてほぼほぼ一日中寝ていたので、それ自体はそんなに苦ではなかった。

問題は夜である。

昼間に寝過ぎたせいか、点滴やらモニターやらフットポンプ(寝たきりでも血栓ができないように、エンドレスで両足のふくらはぎを圧迫・解除しつづける機械。1分おきにぷしゅーぷしゅーと鳴るのでうるさい)やら、身体にいろんなものが繋がってるせいか、なかなか眠れない。そして明け方には痛み止めの薬が切れたらしく痛みもひどくなり、とにかくほぼ眠れなかった。

一時間おきに看護師さんが血圧などを測りに来てくれたが、その全てに起きて対応できた。皆勤賞である。痛み止めの点滴を繋がれていて、「痛いときに押すと多めに薬が出るボタン」というのが付いていたのだが、30分おきに押したのではないかというぐらいに連打した。あとなんか暑いと思ったら38℃くらい熱があった。このタイミングでもらえたアイスノンが天国に感じ、それを持ってきてくれた看護師さんは天使に感じた。

 

6/6 術後1日目

朝になって、ベッドのリクライニングと、飲食が解除された。持参したペットボトルの水(やはり持参してよかった。買いに行く余裕など1mmもなかった)を看護師さんに取ってもらい、一気に飲む。生き返った心地がした。痛み止めの点滴の2本目を繋いでもらい、こちらも一安心。フットポンプも外れたので、うるさい機械音も消えた。

ちなみに、このタイミングで出てきた丸一日ぶりの朝食は、ぺろりと完食した。看護師さんには感心されたが、コロナでもインフルでも食事だけは欠かしたことのない自分の食欲を、舐めないでいただきたい。

と言っていたのも束の間。

昼食はびっくりするほど箸が進まなかった。

心当たる理由は二つ。断続的に襲う痛みと、寸止めの尿意の苦しみである。

手術中~翌日の朝まで、尿道カテーテルというものが入っていた。排尿しなくても勝手に尿を出してくれる管が、股間に入っていたのである。術後に目を覚ましたときは、この管の違和感(尿は問題なく排出されているのに、延々と「漏らしそう」なくらいの謎の尿意に襲われ続けた)に苦しめられた。看護師さんに管を微調整してもらって謎の尿意は消えたのだが、今度は翌日に管を引っこ抜いてから、尿を出せなくなったのである。

尿意はある。膀胱が膨らんでいる気はする。しかし排尿の方法を一晩で身体が忘れてしまったかのように、尿を出せないのである。このもどかしさに非常に苦しんだ。そして、少し腹圧をかけて無理やり尿を出そうとでもすれば、下腹部の激痛が襲い来るのである。

やがて、考えるのをやめた。

二本目の痛み止めの点滴が効いてきた昼過ぎ、痛みが引いたのでワンチャンと思ってトイレに行ったら、あっけないほどに普通に尿が出た。ふざけるな。

ちなみに、陰部からの出血は、入院前は生理くらいの出血かと想像していたが、実際はちょっとした殺人現場くらいに出た。赤い便器だったっけ?という程度には出ていて、軽く引いた。先生曰く、手術中に溜まっていたのが一気に出たのだろうとのことで、とりあえず死ぬことはなさそうだ。

寝る前に3本目の痛み止め点滴を入れてもらい、明け方までは健やかに寝た。明け方からは今度は筋肉痛になってきたが、これは慣れないベッドで長時間寝すぎたせいだろう。

なお、夕食は完食した。

 

6/7 術後2日目

そして今日である。

実は今日になってからは、痛み止めの点滴をしていない。退院を見据え、飲み薬に切り替えられた。最初こそ不安だったが、これを書ける程度には何とかなっている。出血も、殺人現場ほどは出なくなった。

この後は入院初日以来のシャワーも浴びれるらしい。昨日の朝に全身をウェットシートで看護師さんに拭いてもらったがやはりすっきりはしないし、髪もべたべたなので早く入浴したくてウズウズしている。

あとそろそろ入院も飽きてきたので帰りたい。まぁ、明後日には退院なのだけれど。

 

入院準備でいろいろ持ってきては見たものの、結構無駄だったもの、使いそびれたもの、あればよかったものもあったので、退院したらまたまとめたいと思う。

では今日はここらで。

いよいよ

今、このブログを病院で書いている。

 

あれよあれよという間に入院日になってしまった。

もはや何を持って行けばいいかよくわからなくなりながら荷物を詰めたキャリーケースを引っ張り、平日の空いている電車を乗り継いで病院のある隣県まで移動した。緊張しすぎて入院予定時間より一時間早く到着してしまったので近くのファミレスで時間を潰してから手続きに行ったが、それでもまだ早すぎたので院内のカフェテリアでまた時間を潰して、ようやく病室に入れた。

そういえば、小学生の頃から、普段は遅刻ギリギリまで寝ていたくせに、遠足の朝だけはおは○タを6時台からがっつり見れるくらい早い時間に起きていた。今もそれは変わらないらしい。

 

入院手続きを済ませ、病室へ。事前に言われていたとおり個室だ。高層階を用意してもらったので、窓からの眺めも良い。

柵付きのベッドにだけ戸惑ったが、それにさえ慣れてしまえば、ビジネスホテルのシングルルームと大差なく思えてきた。遠征慣れしているオタクには、なかなか快適である。(個人の感想です)

ちなみに、病院によるのだろうが、今回の病院では個室はテレビと冷蔵庫が自分専用で使い放題(テレビカード不要)、イヤホンも使わなくてOKだった。とてもありがたい。

 

そういえば、以前の記事に書き忘れたもので、実際に病室で過ごしてみて一番「持ってきて良かった」と思っているのがこれだ。

www.muji.com「入院時のおすすめグッズ」で調べていたときに見つけて、数日前に駆け込みで買ってみた。

ふかふかしているので裸足で履いても痛くないし、かかとが踏めるので突っ掛けにもできる。もちろんかかとまでキチンと履くこともできるので、入院案内で「スリッパ禁止」「かかとのある靴で」と指定されている場合もクリアできる。

そしてリンクを踏んで、値段を見て驚いてほしい。

無印良品の中でも、激安の部類なのである。

どうやら、余り布で作ってあるので、こんなにも安いようだ。しかも実物は値札を二度見するクオリティ。こんなの即買いだ。世の中にはもっと高くてペラペラなのもあるのに。

色は三色あるが、余り布ゆえ供給が一定でないらしく通販だと色が選べないらしいのと、サイズがM(24cmくらい)かL(26cmくらい)の二択しかないのが数少ない難点。店頭で試着してサイズを調べる&好きな色を選ぶのがおすすめである。ちなみに普段26cm~26.5cmを履いている自分にはLサイズがジャストフィットだった。

裸足でこのスリッパというのが快適すぎて、病室に入って速攻スリッポンと靴下は脱ぎ捨ててしまった。まぁ、今はこれすらも脱いで、ベッドの上にあぐらをかいているのだが。

なお、単純に気に入りすぎたので紹介しているだけで、自分に利益は入らないので安心して買ってほしい。ていうか、アフィなら「店頭で買え」なんて言わんよな。

 

入室後、看護師さん、薬剤師さん、麻酔科の先生、婦人科の先生が入れ替わり立ち代わり診察や説明に来てくれて、早めに入浴を済ませてから点滴を入れてもらい、あとは夕食を食べて眠るのみ。

明日の今頃には、もはや無用の長物となっている子宮と卵巣が、この体から出ていっている、はずだ。

なんとなくまだ実感がない。胸オペのときもそうだった。胸オペは術後に胸がペッタンコになっているのを見たときにやっと実感したが、内臓は外から見えないのでしばらく実感がわかないかもしれない。どうだろうか。

 

そう思いつつ、スマホのアプリで口座残高を見たら、医療ローンの引き落としが入っていた。そういう形の実感はいらん。

あと一週間だと…?

早いもので、来週の今頃、自分は病室にいる。というか、手術すらも終わっている。

荷物はだいたい詰めた。水の500mlペットボトルを10本ほど持って行くのが単純に重いのと、退院後に大きなバッグで自宅まで帰るのが大変な気がして、少しでも楽になるようにキャリーケースで持って行くことにした。うちは自分も同棲中の彼女もコスプレイヤーなせいでキャリーケースが大中小と揃っていて、こういうときに便利である。

「入院のカバンって何で行けばいいんだ?」と検索したら、一番目に「入院には絶対キャリーケースで行くな!」と書いてあるブログがヒットしたのだが、その真下には「入院するならキャリーケースにするしかない!!」と主張するブログがあったので、もはや少し懐かしくなりつつある猫ミームの頭を抱える猫のような声を出しながらグーグルを閉じ、キャリーケースを持って行くことにした。

 

余談だが、コスプレイヤーという生き物は、99%がMyキャリーケースを持っている(当社調べ)。衣装やら小物やらメイク道具やらを持ち歩くのに便利だからだ。早朝の東京ビッグサイト周辺、あるいは池袋のサンシャインシティ付近を歩いているキャリーケースを引いた若者はほぼコスプレイヤーと言っても過言ではない。キャリーケースに謎の細長い袋が突き刺さっていたり、キャリーとは別に奇妙な箱を持っていたりしたら間違いない。刀やウィッグを持っているコスプレイヤーだ。

 

さて。

今回受ける、腹腔鏡手術。当然といえば当然だが、完全に未知の経験だ。

術後はどのくらい痛いのだろうか。胸オペを受けた日の夜、痛みとドレーンの違和感でほぼ一睡もできなかったことを思い出す。術前診察で執刀医がさらりと言った「(身体的な基礎疾患があるので)一応、入院中の食事は対応食にしとくね。まぁ術後はあんまり食べられないだろうけど」という言葉が、脳裏にずっと居座っている。もしかして、食事も食べられないほど痛いのだろうか?

痛いのとジェットコースターの浮遊感が心の底から大嫌いなので、もうずっと日和りまくりである。これを書いている今も、セン○ーオブジ○ースの乗り場まで行くエレベーターに乗っている時間ぐらいビビっている。セ○ターは苦手なのでめったに乗らないのだが、たまに同行者(主に彼女)の付き合いで乗るときには、いつもあそこでウンコを漏らしそうになっている。

どうかそこまで痛くありませんように。あと、病院食がそこそこ美味しいものでありますように。

 

キャリーケースと、水のペットボトル10本、そしてこっそりカバンに入れて行く推しの小さめのフィギュアとUSJで買ったエ○モの小さいぬいぐるみ。これらが役に立ったか否かは、また退院後に報告することとしよう。

性別適合手術、通称SRSの話

気づけば、入院まであと二週間になっていた。

 

必要そうなものはいろいろと買い込んだ。

出血などで汚れたりワンチャン失くしたりしても構わない安い下着、同じく安い靴下、使い捨てのストロー、そして500mlペットボトルの水を1ケース。

飲食物は持ち込み禁止と言われているが、水はどうなのだろうと思い、入院のしおりなどを読み返したがよくわからなかった。ネットで調べると、給水機、給茶機がある病棟もあるが、多くは食事のときに配給されるお茶くらいで、もっと飲みたければ売店で購入することが多いらしい。

自宅から少し距離のある病院への入院なのもあり、他県にいる親はおろか、同棲している彼女もあまり頻回には来られない。一週間の入院なので、来てもらえても1、2回だろう。そして手術の後に売店まで歩くのも、できるかどうかわからない。できたとしても、正直面倒なのであまりしたくない。

その結果、ネットでミネラルウォーターを1ケース買って、そこから十数本を持参することにした。ネットの箱買いなら、院内コンビニで単品買いするより安いし。そして水なら、コーヒーやジュースと違って治療にもあまり影響ないだろうし。まぁコーヒー飲めないけど。

 

そういえば、性別適合手術、略してSRSと言われる手術の話をしたい。

以下は日本国内の話であり、タイを含め海外ではいろいろ異なる可能性があることをご留意いただきたい。

 

SRSでは、主に生殖器を切除することになる。つまるところ、自分のように女→男の場合は、子宮と卵巣を一式取り除くのである。男→女は、精巣と陰茎を取り除いて、膣を造設する。以前の投稿でも書いたが、女→男でホルモン治療で身体が変化済み(具体的には陰核部分が発達して小さな陰茎のようになる)の場合は、わざわざ付け足すことは必須ではなく、あくまでオプションだ。そして乳房を取る/付けるのも、法律では求められていないので同じくオプションである。

自分は、乳房はいつもいつもナベシャツ(コスプレイヤーなのでコスプレ用の胸潰しを使っていた)で潰すのが面倒なので切除した。もちろん費用はかかったが、メリットが大きいと思ったのでやってもらった。

陰茎は、正直なくても日常生活では困らないし、せっかく作っても腐って取れて再手術になることもあると聞いたので、造設しないことにした。トイレは職場では座りション男子で通っているので小便器でなく個室で用を足すし、事情を知らない職場の同僚等と温泉旅行に行くこともまずない職種だからだ。男子トイレの個室はたいてい女子トイレより少ないので並ぶこともあるが、今のところ大事件を起こしたことはないのでたぶん今後も大丈夫だろうという予測だ。旅行先での温泉も、正直タオルでごまかしてササッと入れてしまっているので、まぁ要するに自分の場合は陰茎は要らないのである。

ただしこれは各当事者の状況、希望によるので、どこまでやるのが平均的だとか、正解だとか、そんなのはない。

何もしない人、ホルモンだけの人、胸を付けた/取った人、SRSを受けた人、戸籍を変更した人。どの生き方をチョイスすべきかは、その人しか決められない。その人だけの人生なのだから。

自分はただ、自分が選んだことの体験記を残すだけにする。

 

話を戻そう。

女→男のSRSの方法は、大きく二つあるらしい。一つは腹腔鏡、もう一つが開腹。

腹腔鏡は、腹とヘソに小さな傷をつけて棒状の器具とカメラを突っ込み、その棒を医師がマジックハンドのように操って、腹の中で切除を済ますものだ。正直、神業すぎて意味がわからない。ちなみに、膣にも器具を入れて、切った臓器の回収は下からするそうだ。

開腹は読んで字の如く、腹を切って開けて、臓器を切り出して終わり。よく医療ドラマでやってるようなアレだ。

いずれも普通の婦人科手術(子宮体がんの切除とか)でよくやる方法らしい。膣自体は残るが(これも封鎖し、会陰部を真っ平にしてしまうオプションもある。自分はこれはやらない。これまた追加料金がかかるし、残しておいたほうが今後の人生で”いろいろと”使えそうだからである)、その先端の子宮に繋がっていたところが縫い合わされて行き止まりになるそうだ。なので、術後はしばらく性器から生理のような出血があるのと、膣での性行為は当面禁止になるそうだ。まぁ、当然である。

二つの違いとして、腹腔鏡のほうが残る傷痕も小さくてパッと見ではわからないくらいで済み、術後の回復も早いそうで、基本的には腹腔鏡でやるそうだ。ただ、本人の身体的都合で腹腔鏡が難しいときは開腹になることもあるらしい。自分は腹腔鏡の予定なので、術後の回復も早い見込みで、術後一週間で退院というわけだ。

今回お願いした病院はSRSパック料金(個室代、手術代、食事など入院に関わるもろもろの費用)扱いで値段設定してあったので、術式での値段の違いはなかったが、自由診療なので病院によっては違ってくるらしく、予約時には要注意である。特に、海外ではこの二つで値段も滞在期間もかなり変わるらしい。

 

海外の話で思い出したが、海外(主にタイ)と日本国内、どっちでSRSをやるか問題について。

少し前まで、SRSといえばタイに行ってなんぼ、という世界だった。その主な理由は、タイはSRSが盛んなので技術も高く、費用も日本より安いことと、少し前まで日本国内ではSRSをやれる病院が少なく、予約を取るのも大変だし、技術も海外より低いと言われていたからだ。

しかし、近年は少し変わってきている。SRSや胸オペをやってくれる病院が、日本国内にも増えてきた。関東のクリニックが中心ではあったが、総合病院や他の地方にも少しずつ広まりつつある。有名なところで、山梨大学岡山大学性同一性障害GID)治療を積極的にやってくれている大きなところだ。

関東ではジェンダー医療協議委員会というのも作られ、ホルモン治療やSRSについてきちんと複数の医師で協議して、その人にその治療をしてもよいのかを判断してから始めるというシステムになったそうだ(自分がホルモンを始めた頃はそのようなシステムはまだなかった)。SRSも、泌尿器科や婦人科の先生方で意欲的にやってくれる先生が増えてきている。

そして、コロナ禍や円安で、正直なところ渡航のハードルは上がっている。

 

結果として、2024年の時点でタイと日本国内でのSRSを比較すると以下のような感じだ。

費用:タイがかなり安く、国内の半分くらい(ただし渡航費など円安の影響はあるかも)

期間:入院期間自体は同じくらいだが、タイは移動時間や退院後も病院の近くのホテルで療養することもあり、タイの方が長くなりがち

技術:国内も決して悪くない 手術の可否の判定やGIDの入院の対応、手術のやり方も確立されてきている

予約方法:国内は当然ながら自分でググったり主治医に教えてもらったりして探し、自分で日本語で連絡して予約できるが、タイはかなり海外慣れしている人じゃないときつい。一応、病院の紹介や予約、手術の付き添いをしてくれるエージェント会社はある。もちろん仲介手数料はかかる(らしい)。

その他:タイは英語の紹介状が必要だったり手術前後に医療者と英語でやりとりする(or通訳に同行してもらう)必要があったりと、言葉の壁がある。

万が一術後にトラブルが起きた際、再渡航する必要がある(国内で対応してくれる病院もあるのはあるが、再渡航になる覚悟は必要)。あとは気候や食事などの慣れない環境はある。

 

個人的には、費用以外でタイへ渡航することへのメリットは感じられなかった。

知らない国の慣れない環境で手術を受け、長時間のフライトで日本に戻るよりは、母国語でやりとりできて病院食で味噌汁を飲めるところで手術を受けて、なるべく短期間の休職で早く仕事復帰して手術費用の出費分を稼ぎたいと思ったので、最初から日本の病院に絞り、予約をしたのである。

しかし、これまた、SRSを受けたい人それぞれの状況、価値観によって最適解は変わってくる。少しでも安く抑えたい人、数え切れないほどSRSをやってきた先生にお願いしたい人、ついでにタイ観光もしたい人など、「タイのほうが絶対よくね?」という人もいるだろう。その人たちはタイを選んで正解だろうし、自分のようにできるなら日本を出たくない人も正解だ。

 

あと、例えばパクチーナンプラーより納豆と醤油が好きな自分みたいな人は、日本国内がおすすめかもしれない。

入院準備をいろいろと。

まだ入院まで半月くらいあるが、ちまちまと入院準備を進めてみている。

なにしろ、物心つく前に小児喘息をこじらせて一度入院して以降、実に30年くらいノー入院で過ごしてきたので、入院というものの勝手が全くわからないのである。小児喘息のときは、当然ながら全て親がやってくれたし。

 

病院からもらえた入院の案内パンフレットに加えて、自分でも少し調べてみている。

いろいろ見た中で、下着メーカーのグンゼのこのサイトがわかりやすかった。

https://www.gunze.jp/kigocochi/article/1h202007-05/

メーカーのサイトながら、自社製品の宣伝は控えめで中立的で助かる。

もちろん宣伝も挟まるが、さすがグンゼ、と思ったのは、シームレスパンツは当然ながら、前開きブラジャーとかウエストまで覆えるパンツとか、さらには洗えるスリッポンまで扱ってたこと。知らんかった。

 

用意してみるもの。

  • 下着(看護師さんから、「術後に出血がありうるためナプキンを着けられるものを用意して」と言われた。トランクスはNGなので、シームレスのボクサーを何枚か用意するつもり)
  • 術後の出血用のナプキン(彼女のを分けてもらう)
  • 靴下
  • 帰宅用の洋服
  • 使い捨ての紙コップ、割り箸
  • 歯ブラシ(旅行用のものを使うつもり)
  • くし(短髪癖毛なので毎朝寝癖が爆発するので)
  • ティッシュ、ウェットティッシュ
  • スリッポン(これは早めに購入して履き慣らしておく)
  • 爪楊枝(しょっちゅう歯に食べ物が挟まるので)
  • ペットボトルに付けられるストローをブッ刺さるフタ(これは彼女のお母さんが入院したときの経験からおすすめしてもらった。寝たままでも水が飲みやすいらしい)
  • 使い捨ての曲がるストロー(同上)
  • 髭剃り(刃物NGの病院もあるようだが、今回の病院がどうかはわからず。念のため電気シェーバーを持っていく)

あとは健康保険証やら身分証やら多少の金銭やら。性別適合手術自体は完全自費治療だが、念のため健康保険証も持ってくるように言われている。

ちなみにパジャマやタオル類は、ものすごく悩んだが、最終的に病院のレンタルを申し込んだ。入退院の荷物量と退院後の洗濯と、レンタル費用を比較した結果、課金することに決めた。今回は一週間ほどの入院なので、レンタル費用も数千円程度。一ヶ月以上の長期入院ならいざ知らず、この程度ならレンタルの方がコスパが良さそう。と思いたい。

入院するのは個室の予定なので(そりゃ婦人科病棟の大部屋にこんな風貌の輩を入れられるわけもなかろう)、プライバシー的なやつは大丈夫そう。ということで、耳栓などは割愛。

イヤホンは愛用のBluetoothのやつで良いのではないか。テレビはきっとテレビカード式だろうから、ケチって見ないだろうし。スマホさえあれば、ぶっちゃけ今やTVerやアマプラなんかがあれば十分だ。自宅でも、地上波を見るのはリアタイでアニメを見たいときくらいになってしまった。悲しい話である。

ということは、スマホとイヤホンの充電器は必須。忘れたが最後、ザキを喰らってしまう。そうだ、Wi-Fiも持っていかねば。

パソコンは、病院にもよるが、なぜか許可制のところが多いらしい。ブログやその他書きたいものもあるし、一応持って行くこととしよう。

 

つらつら書いてみたが、こんなものだろうか?

一週間入院だというのに、イン○ックスに1泊2日遠征するときよりも少ない荷物で行けそうで笑える。

 

あと、これは必要かはわからないが、念のため直筆の意思表示の紙も用意しておいた。万が一手術後に意思表示ができなくなったときのための保険だ。

直筆ではあるが、そこらへんの紙にボールペンで書いたもので、1mmも公正文書ではないし、法的な効力はないかもしれない。けれど、そもそも自分と彼女は、パートナーシップとかいう法的な効力はない、自治体のサービスの一貫である繋がりしかない。それのわずかな支えになればいいな、という程度の紙切れだ。

紙は2枚。「自分が意思表示できなくなったとき、金銭や治療の全ての判断はパートナーの○○に任せる」という紙と、彼女宛てに各種暗証番号のヒントをまとめた紙だ。これで自分が何もできなくなったり、ワンチャン死んだとしても、彼女が口座のお金を出すくらいはできるだろう。

彼女には「遺書」と言って誤魔化したが、半分本気でそう思いつつ書いた。親が遠方におり、長らく疎遠である自分には、これくらいしか思いつかなかった。

いざ必要になったとき、この紙が有効であったかどうかは、自分はきっと書き記せないのが残念である。あの世にははてブロがなさそうなので。

これまでのこと。

いろいろあってブログを作り直しました。以下は前のブログからのコピペです。

 

序章

ブログってよく考えたら相当久しぶりに書く。

最初に書いたのは中学生の頃にジオ○ティーズでホームページを作ったときだったから、20年くらい前になるかもしれない。

これは、そんな年齢の、そこらへんにいる人が書いてるブログである。

強いて言えば、性同一性障害FtMというちょっと厄介なものを持ってるってことくらいカナ……。

 

性同一性障害トランスジェンダーとは、生まれた身体の性別と、自覚している性別に違いがあり、身体の性別に苦痛を感じる人たちのことを指す。FtMは身体は女(Female)で心は男(Male)の人。MtFはその逆である。

我々は、ほんとにそこらへんにいる。

普段は駅の男子トイレの個室で用を足し、着替えは男子更衣室に連れていかれ、食べ放題はしっかり男性料金を取られるが、股間を見ると男性器はなく女性器を持っている。染色体もまごうことなきXXである。ちなみに、後述するが、自分は乳房は切除したので真っ平な胸に乳首だけが付いている。乳房だけでなく胸筋もないが、それはただの筋トレ不足である。

世間一般のXYの男性の中に混じって、ほんとに普通に生きている。いちいち「トランスジェンダーです!!!!」と言って回って無駄に目立っても、面倒事ばかりで一つも良いことはないからである。世間のトランスジェンダーの多くが、そうやってシスジェンダー(身体と心の性別が一致している人)たちに紛れて普通に暮らしている。ちなみに、業界用語でこれを「埋没している」と表現する。

 

性同一性障害と気付くまで

生まれてから物心つくまで、いや物心ついてもしばらく、普通に女子として育った。

セーラー○ーンもおジ○魔女も好きだったが、電車も好きだった。平成ラ○ダーにもハマった。ウルトラな人と、戦隊ものはそうでもなかった。

小学校5年生くらいから、スカートよりズボンがしっくりくると思っていた。

そして、中学進学時、これから毎日セーラー服を着ると思うと、反吐が出るほど嫌なことに気付いた。

そこから十年、「女子」と言われることに、なんとなく違和感というか、モヤモヤしたまま生きた。

ちなみに、高校生になる頃には、制服のスカートを着るのが少し好きになった。それは、当時憧れていた中学時代の女子の先輩が一年先に母校の高校に入学していたのだが、先輩の制服姿がすごく似合っていて可愛くて惚れ直した(そして同じ高校に行くために全力を尽くした)というのも大きいが、それを抜きにしても今でも気に入っているほど清楚系で可愛いものだったので、正直なところ『女装』『コスプレ』としての感覚だったのだろうと思う。

 

大学に入り、成人して(この頃には『女装』にもっとハマっているので一瞬ロリータ服に手を出したりもした。そして二次元キャラのコスプレイヤーにもなった)、なぜか彼女ができた。ちなみにその前に男とも付き合いかけたことがあったが、本当に何もせずに自然消滅したので、元彼とカウントしていいかもわからない。

そして、とある概念を知った。

性同一性障害トランスジェンダーである。

これじゃん。

びっくりした。これまで心に刺さり続けていた机のささくれみたいなトゲの正体がわかった瞬間だった。

そして、レインボーパレードで出会った先輩当事者に背中を押され、精神科の門を叩いた。

精神科診察、心理検査、知能検査、染色体検査、婦人科診察。半年近くかけて、あと結構なお金もかけて、やっと性同一性障害の診断が出た。

これが2016年のことである。

 

ホルモン治療開始

社会人になり、経済的に自立して、2018年から、男性ホルモンの注射を打ち始めた。

自分の打ってもらっている男性ホルモン注射は、エナルモンデポーという商品名のもので、2週間に一度、腕か尻に筋肉注射をしてもらうものである。筋肉注射は、世間的にわかりやすいもので言うと、コロナのワクチンと同じ打ち方のやつだ。

つまり、割と痛い。

しかし2週おきに打っていると、全然気にならなくなる。

お値段は、だいたい2000円~5000円くらい。自由診療なので病院によって結構異なる。

これを14日おき、つまり一年で20回くらいなので……。

ソシャゲのガチャなら200連くらい回せそう。回したい。

でもそれだけの価値はあった。

生理は止まった。声も低くなった。筋肉もめちゃついた。髭も生えた。股間もちょっと変わったが、コンプラを意識して一応詳細を書くのは控えておく。男らしくなった、とだけ言わせてほしい。

邪魔に感じたので、乳房も2019年に切り落とした。2019年10月から消費税が上がることになったので、駆け込みで9月下旬に手術をした。自費で数十万の手術なので、消費税の増税はデカいのである。こんな駆け込み需要があるんだ、とあちこちで笑われた。自分でも笑った。

そして名前も男っぽいものに変更した。

改名は意外と簡単だった。裁判所のホームページを読んで、必要な書類を記入して、性同一性障害の診断書の写しを添付して、必要額の切手とともに居住区の家庭裁判所に送り付けるだけ。

追加の質問用紙が返ってきて、それに記入して返送すると、一か月くらいで戸籍を書き換えてもらえたように記憶している。免許や口座の名義変更のほうがよっぽど大変だった。

 

現在の話

今は冒頭に書いたように完全に男として認識される風貌で生きている。

胸オペや改名が済んでから転職した今の職場では、マイナンバーや保険証などを見ることがある管理職以外には戸籍の性別を公開していない。

同僚は皆、自分を生来の男と思っており、彼女を『内縁の妻』と思ってくれている(同居しているが、税金の手続きなどの書類では配偶者なしになるので)。実際は戸籍上での同性カップルなのだが。

今でこそ男性用のトイレや更衣室などを普通に使って生活しているが、女性用から男性用への移行、中でも特にトイレは一番苦労した。ホルモン注射を始めるまでは女子トイレだったが、ホルモン注射を始めてからしばらくは多目的トイレを探して歩いた。多目的トイレがない場所では、女友達に同行してもらったり、人目が少ないトイレを探したりして、なるべく目立たないように女子トイレを使った。

ホルモン注射で地声が低くなってきた頃、多目的トイレがないところで、勇気を出して男子トイレの個室に入った。

意外と何も言われなかった。

そして、その頃には、女子更衣室に入ろうとするとスタッフに止められたり、女性専用車両で白い目で見られたりすることのほうが目立つようになってきたので、腹を括って男子トイレ、男子更衣室を使うようになった。

温泉は一番ハードルが高かったが、胸を取ったくらいから、必要時はタオルでなるべく隠しつつ入れるようになった。

胸は平らなら特に気付かれないし、股間エピテーゼなどもあるが、値段も高いし、装着も大変だし、一度風呂の中で取れて冷や汗をかいたこともある。いろいろ試した結果、自分の場合は、腰のあたりでタオルを持ち、股間のイチモツを隠している風を装うのが一番だった。もちろん個人差があるので、FtM当事者はそれぞれいろいろ試してほしい。一番良いのは、心を許せる男友達に同行してもらうことだろう。紛れやすいし、外から見て変なところを指摘してもらえる。

 

こんな話をすると、文字だけ見て、「戸籍上女なら女子トイレや女子風呂を使え!」と言う人がいるかもしれない。インターネットではしょっちゅう見かける声である。ただし、なぜかMtFへの批判ばかりでFtMに対しては少ないが、それは男湯に入るFtMが「いないもの」とされているからかもしれない。しかし、もちろんいる。ここにも。

こういう主張をする人に、もし自分の正体を明かさずに「大浴場はどこですか」と訊いたら、自分は男湯と女湯どちらに案内されるだろうか、と考えることがある。

やったことはないが、間違いなく男湯に連れていかれるだろう。今も、初めて利用するスーパー銭湯の受付の人は、何の確認もなく当然のように男湯のロッカーのカギをくれるのだから。

仮に今の風貌の自分が女湯に突撃したら、脱衣所で大騒ぎになるだろう。男性器は生えておらず、代わりに子宮と卵巣を持っているとしても、だ。

風貌で第三者に判断されるほうの性別の施設を利用する。これはただただ「埋没」したいだけなので、十把一絡げにそれを悪く言うのはやめてもらいたい。悪意をもって女湯や男湯に侵入する人間は、性同一性障害の有無など関係なく、ただの性犯罪者だ。性犯罪者と、埋没してひっそりと平穏に用を足したり着替えたりしたいだけの戸籍変更前の人間をごっちゃにするのが、どれほどナンセンスなことか。

 

やっとここから本題

で。

今度、その子宮と卵巣も、取ってしまおうと思う。

それがこのブログを開設したきっかけだ。

ちなみに、男性器は造らない。戸籍変更に男性器の増設は必須でないし(前述の「ホルモン注射で"男らしく"なった自前の股間」が男性器の代用として認めてもらえる)、子宮と卵巣の切除にプラスで造設分の費用がかかる。そして、わざわざ腕や足の皮膚を使って疑似男性器を造設しても、腐り落ちることもあるらしい。

だから自分は、子宮と卵巣は取り除く、男性器の造設はしないという決断をした。

 

ちなみに子宮と卵巣を取り除くことにしたのは、戸籍の変更のためだけというわけではない。

2023年の秋に、最高裁の判決で、長年ホルモン注射をしているが生殖器の切除はしていないFtMの戸籍変更が認められた。それ以降、個別のケースによるが、生殖器の切除も戸籍変更に必須ではなくなったのだ。

しかし、自分は切除する。2024年という時代に、敢えて。

理由は一つ。

うざいから。

一生使わんのに、あっても邪魔だし。

ホルモン注射で生理は止まってるけど、ホルモン注射の間隔が空いたときに生理もどきの出血が起きてボクサーパンツを汚されるのクソだるいし。

それ以上でも以下でもない。

 

手術を思い立ってから今日までのメモ

2023年11月

精神科の主治医に手術の決心を伝え、OKをもらい、性別適合手術をしてくれる国内の病院を探し、数か所に連絡を取った。

手術費用、入院期間、自宅からの交通手段、手術できる最短日程。そして、コロナ禍でもあるので、面会の制限。何十日も彼女に会えないとか死ぬ。

これらを比較した結果、関東の某病院にお願いすることに決めた。

身バレ防止で、病院名は伏せさせていただく。

 

2023年12月

手術をしてくださる婦人科の先生の初診。この風貌で婦人科に行くのはすごく気が引けた。彼女を連れていき、婦人科待合ではなく共用廊下で待たせていただけたので助かった。感謝。

 

2024年1月

あけましておめでとうとともに、親に連絡をした。お宅の娘が息子になろうとしています、という連絡である。

性別その他のいざこざで家を飛び出した後、五年ほど没交渉だったが、なんとなく和解。一応OKをもらった。

 

2024年2月~3月

関東では、性別適合手術をするにあたって、関東ジェンダー医療協議会なるものの承認が必要らしい。手術に間に合うよう、その申請手続きをしておく。一万円くらいかかった。OKの紙をもらったことで、大手を振って子宮とおさらばできることになった。晴れやかな気持ちである。

ついでに手術費用のために銀行で医療ローンを組んだ。100万オーバーのローンである。

 

2024年5月

術前の各種検査を済ませ、あとは手術を受けるのみ、というところである。

手術は今年6月。つまり来月。初診から半年で手術ができる見込みというスピード感が、この病院に決めた決定打でもあった。

 

さいごに

入院、手術の前後で、このブログを更新していこうと思う。

これから性別適合手術をする人の、そしてシスジェンダーの皆さんがトランスジェンダーを理解するための参考になれば、幸いである。

 

余談。

性別適合手術といえばタイが有名だが、国内にしたのは、タイでの手術は安いけど時間もかかるし言葉の壁もあるしで大変そうだったからである。

あとパクチーが本気で無理だからでもある。ごめん、タイの人。