本来、このブログは自分の性別変更の備忘録だが、今日まさに世間で話題になった表題の判決について思うところがあったので、少しばかり書いておこうと思う。
これが、性同一性障害の当事者や支援者のみならず、むしろ戸籍の性別変更に懐疑的、否定的な人に届いてほしいと願う。
今日、『性別適合手術を受けていない男性の戸籍上の性別を女性に変更することを許可する判決を地方裁判所が出した』というニュースが出た。
これに関して、インターネットではさまざまな意見が飛び交った。正直、大半が否定的な意見であった。自分がもし多感な思春期だったら、自殺も考えかねないような過激な意見もあった。
この判決の是非について考えるのは、原告、そして裁判所の仕事であるので、一旦置いておく。ただ、インターネットで見かけた批判の中で、いくつか誤解を含むものがあったので、当事者として訂正させていただきたい。
批判的意見の中で一番多かったのが、『この判決のせいで、男性器を持った者が堂々と女性のスペース(女湯、女子更衣室、女子トイレ)に入ってこれるようになった』『女性の安全が失われた』と嘆くものだった。
結論から言うと、そうはならない。ただ、ここではこの意見を否定するだけではなく、なぜこれが誤解であると言えるのか、そしてなぜこのような意見があちこちから噴出したのかを考えてみようと思う。
まず、この意見の根底に、『裁判』『判決』『判例』そして『法律』の誤解、無理解があると思う。
義務教育で、『三権分立』というものを教わったと思う。日本では、司法、立法、行政は、それぞれ独立して動いているのだ。それぞれが互いに働きかけることはあるが、一つが動くと同時に他のものが同じ方向に動くようにはできていない。
これを性別変更のことに照らし合わせてみると、『未手術である原告の性別変更を許可する』と、司法権を持つ裁判所が判断をした。しかし、立法、行政は独立しているため、少なくとも本日の時点では何も動いていない。すなわち、戸籍変更にまつわる法律はまだ一言も書き換えられていないし、それを実際に運用するシステムもまだない。
だから、この裁判の原告を除き、『男性器を持った者でも申請すれば誰でも戸籍を女性に変更できる』ような法律にはまだなっていないし、ましてそのような者を誰でも女性スペースに入れるようにせよ、という国単位の運用も存在しないのである。
興味のある人は、裁判所公式サイトの以下のページの「1.概要」を読んでみてほしい。
www.courts.go.jp昨年、最高裁の判決が出たことは示してあるが、本日もなお、性別変更の要件から「生殖腺を永久に欠く状態であること」という文言は消えていない。なぜなら、令和6年7月10日の時点で、法律は何も変わっていないからだ。
そしてもう一つ。戸籍変更は、基本的には家庭裁判所で行う家事裁判である。家事裁判とは、平たく言うなら、国民個人にまつわる小さなゴタゴタの解決や法的、書面的な手続きだ。わかりやすい例で言うと、離婚調停、遺産相続、キラキラネームの改名などが、これに当たる。自分も、性別変更のために、個人単位での『家事事件』の『裁判』を起こしているところだ。
家裁から地裁まで発展した今回の判決、そして昨年末の最高裁まで至った判決もだが、これらはあくまで『その裁判の原告において』の判決にすぎない。
性別絡みであるせいで少しわかりにくいので、他に置き換えた例を挙げる。
同じ家事事件である離婚調停をしていたAさんとBさんがいた。調停はなかなか決着がつかず、長期間争うことになった。最終的に、『AさんとBさんの離婚を認める。離婚の原因となった浮気をしたAさんは、Bさんに慰謝料200万円を支払い、財産は分割せよ』と裁判で結論が出たとする。この判決だけを根拠にして、『日本で浮気をした者は無条件で200万円を配偶者に払って離婚しなければならない』という結論に至るだろうか?「いやいや、そんなの各家庭ごとに違うでしょ」と思わないだろうか?
上記はいささか乱暴な例であるが、自分が言いたいのはこの例と同じで、「判例が一つあると言っても、実際はそれぞれのケースで違うでしょ」ということである。一つ判例があっても、今後の裁判が全例「右向け右」ではない。
もちろん、今回の地裁や昨年の最高裁の判決が、今後『過去の判例』として参考とされることは間違いない。だが、あくまで、戸籍の性別変更は各個人の問題、事件である。現行の法律、制度下でも、戸籍の性別変更には、正式な手順で書類を全て揃えて提出し、費用を全て納め、裁判所からの質問に返答し、求められた場合は出頭して面接を受ける必要がある。裁判所もバカではない。原告が本当に戸籍変更をすべき人間か、判断する手順を設けている。
今回の『判例』を受けて今後変わることとして、確かに裁判所の判断基準が「必ずしも手術をしていなくても良い」と更新されるだろう。だが、それは、「手術こそしていないが、ホルモン治療をしていたり、外見や振る舞い、その他の血のにじむような努力をもって、希望の性別として暮らしている(埋没)もしくは今後暮らしていける」ような人も性別変更対象にできるようになったにすぎず、一部が懸念しているような「完全未治療で、希望の性別として実際に暮らしていけるとは思い難い、ただ『女湯に入りたいだけの男』」の戸籍を変更するようになると考えるのは、あまりに安易ではないか。
今回の判決、そして昨年の最高裁の判決は、いずれも『該当裁判の原告が』未手術で戸籍を変更する許可を出したものであり、今後の裁判所はそれを参考にして個別に判断できるようになった。それ以上でも以下でもない。
正直、これらは、法律関係者や実際に裁判手続きをしたことがある人でないとわからない部分が大きいだろう。マジョリティの大半が勘違いを起こすのも当然だ。
そしてもう一つ見かけた意見。
『この判決が出たせいで、好き勝手に性別を変えられるようになった』。
これもまた、誤りである。今回の判決で出たのは、戸籍の性別の変更許可である。日常生活でのジェンダー自認の揺らぎはいざ知らず(揺らぎの大きな原告ではこんな判決は出るまいが…)、戸籍の変更は非常に労力を要する。前述のとおり、裁判レベルなのである。これを『好き勝手』と表現するのは、費用も時間も労力も使って裁判を起こす原告にも、対応する裁判所にも失礼だ。
加えて、重大なことがある。裁判所は、一度出した判決は、そうそう変更させてくれない。これは控訴や上告で判決が覆るときの話ではなく、判決が確定した後の修正は非常に困難だという意味である。戸籍の性別を変更した後に、「やっぱり戻してくださーい」なんてことは、まずできない。よほどの理由がない限りは不可能だろう。これも、『好き勝手に性別を変えられる』という意見が不正確な理由である。
まとめると、今回の判決でシスジェンダー(主に女性)の安全を危惧する方が多いが、この判決はあくまで地裁の原告であったトランスジェンダー当事者の戸籍変更が認められたことに過ぎない。
今後、もしもトチ狂った立法が性別変更の要件を全撤廃して『自己申告だけで性別変更を許可します!』とし、行政もまた全国にそれを適用した場合には、危惧されている『男性器を持ったまま戸籍を女性にしたよからぬ者が女湯に大手を振って侵入し、シスジェンダー女性が強姦される』ことも起こりうるかもしれない。しかしそれはかなりレアケースな想像であり、百歩譲って現実になったとしても、裁かれ非難されるべきはその性犯罪者である。大半の善良なトランスジェンダーを全員犯罪者扱いするのは、愚の骨頂だ。ましてや、そんな法的根拠のない今の時点でトランスジェンダーを全員まとめて危険分子扱いするのは、ただのヘイトスピーチである。今回の判決を『トランスジェンダーのせいでシスジェンダー女性の安全が失われた』『トランスジェンダーが戸籍を変えてくるなんてこの世の終わりだ』と嘆くのも、その言葉が善良なトランスジェンダーの心を殺す刃になると気付いてもらえれば、自分も夜更けに長々と書いた甲斐がある。
補足。
『トランスジェンダー、性同一性障害のくせに、なんで手術しないの?自分の身体に違和感があるんじゃないの?性器取ればいいじゃん』という意見もあった。
これに対し、悩んだ末に実際に手術で生殖器を『取った』自分の私見を述べる。
未手術の性同一性障害当事者には、手術を『しない』人もいるが、手術が『できない』人もいる。
『しない』人の理由は、主にその人の信念だ。身体にメスを入れたくない、痛い思いをしたくない、性別に違和はあるがなんとかやっていけている。いろいろあるだろう。
重要で、かつ見落とされがちなのが、『できない』人だ。性別適合手術は、間違いなく手術だ。身体を、しかも健康な臓器を切り取るものだ。もちろん痛い。心臓など、身体に負担もかかる。感染症や他の臓器を傷付けるなどのリスクもある。運が悪いと命にもかかわる。そして、ホルモン注射などの自費治療を開始前でない限り、日本では完全自費治療となるため、手術だけで100万円以上が吹き飛ぶ。海外で受けるとすると、渡航費用などもかかる。術前術後は仕事や学校も休まなければならない。
これらのリスクを、当事者の全員が背負えるわけではない。実際、自分の知人にも、身体的な持病のせいでホルモン注射や手術を受けられないままでいる当事者がいる。彼らは、いくら希望の性別に埋没して暮らしていたとしても、生まれたときの性別のまま、ただただ息をひそめて生きている。外見の性別と身分証の性別が違うせいで、偽装身分証を疑われたり、訝しがられて賃貸の契約を断られたりしながら。
今回の判例が、自分の知人のように手術を『できない』人にとっての救いの光になる、と思うことはできないだろうか。
最後に。
今回の判決や、その原告の当事者への不満、批判などは、自分は一切ない。裁判を戦い抜かれたことへの称賛の気持ちでいっぱいだ。
むしろ、モヤモヤしているのは、国の制度に対してである。
今、インターネットにヘイトスピーチまがいの批判が溢れている原因の一つに、国の動きの遅さがある。
以下に、モヤモヤする点を書き連ねてみる。
・いつまでホルモン治療が自費治療なのか?そのせいで、ホルモン治療済みの当事者(大半が該当する)の性別適合手術は自費治療扱いのまま。
・性同一性障害の診断、性別適合手術の可否の判断の質にバラつきが大きい。手術は国内でできる病院の数の偏りも酷い。関東地域には「関東ジェンダー医療協議会」という医師団体があるが、同様の協議会を全国規模で均質に作るべきでは?(これはジェンダー医療協議会所属の主治医の意見でもあった)
・LGBT法って結局何が変わったん?ヘイトを産んだだけでは?
モヤモヤ、イライラは、当事者じゃなくて国に向けてね。マジョリティの皆さん。
おまけ
『女性になりたがる出生時男性』『女性扱いを希望する出生時男性』の話ばかりが流れてくる。万が一のときの危険性が高い人にシスジェンダー女性が多いせいでもあるかもしれないが、『男性扱いを希望する出生時女性は存在しない(だから女性スペースを希望するMtFは全員性犯罪者)』というのは間違いだ。埋没しているので気付かれないだけで、男子更衣室でこっそり着替えていたり、男子トイレの個室で用を足したりしている男性自認の出生時女性(FtM)は、ちゃんとこの世に存在する。
むしろ、彼らは、外見が男性っぽくなり始めた時点で、早々に女性スペースの入り口で足止めされたり、女性スペースから排除されてたりして、結果的に早急に男性に埋没し、男性スペースを利用することを強いられるようになることが多い。
以下は、実際にインターネットで見たシスジェンダー女性の意見と、それに対して、排除された経験のある者が思ったことである。
『女性スペースに入れるのは戸籍上女性だけにしろ!』→戸籍上女性(変更前)だがホルモン治療で声が低かったり髭が生えてたり乳房を切除済みだったりするFtMは入れるのか?
『戸籍を女性に変更しても男性器があったら入るな!身体で決めろ!』→同上。また、戸籍を男性に変更済みだけど陰茎は造っていない、外性器は女性型のままのFtMは?髭があって乳房は切除済みだけど子宮卵巣はあったら男湯?女湯?
矛盾がおわかりいただけただろうか。
結局は、明確な基準を設けるのは非現実的なのではないか。戸籍上の性別変更は「切り替え」だが、身体面、社会面はあくまで「移行」なのだから。
経験談としては、「そのときの状態で埋没できる(大騒ぎにならない)方を選ぶ」が自分が学んだ正解であり、善良な当事者はそれを目指して日々を生きている。騒ぎを起こそうとしたり、他者に触れようとしたりするのは、セクシュアリティ関係なくただの性犯罪者である。そいつらは迷わず処せ。人類の敵だ。
追記
『当事者が望んでるのは未手術での戸籍変更より手術の保険適応なんだが』というツイートを見た。
前述の通り、未手術での許可で恩恵を受ける人もいる。しかし、手術を受けたいが金銭的理由で受けらない人だって多いのだから、さっさとホルモン治療をしてても手術を保険適応にしてほしい。
異性婚も同性婚もどっちも認めてくれよ、と同じ感覚である。
なお、自分が見ているのは「Twitter」であり、「X」なるSNSに登録した記憶はないので、「ツイート」という言葉は間違いではない。悪しからず。